【京都と出雲氏】 消えた出雲族を求めて①
出雲族の気配
◇鴨川デルタ
賀茂川と高野川の合流点は、
鴨川デルタ(正確には三角州ではないですよ。)と呼ばれ、
大学生サークルの宴会のメッカです。
私が大学生のころも、
・外で飲むときは、「鴨川デルタ」、
・店で飲む時は「三条土下座像前」
に集合というのが定番でした。
大学生以外でも、
・「ふたばの豆餅」を食べる観光客、
・土手で滑って遊ぶ幼稚園の集団、
・コーヒー片手に読書するおじーさん、
・うっとり顔で自作の曲を歌うおにーさん、
・なぞの楽器を半狂乱で乱打するヒッピー風味の人
・砂金採りに興ずる自称山師
・トビにパンをキャッチさせて遊ぶおじさん、
・裸族
・土手をぺたぺたあるくカモの親子に、
・害獣指定にされていることも知らずのんきに泳ぐヌートリアの親子、
・上流から流されて途方にくれるオオサンショウウオ(おそらく台湾種)、
・なぞのショートケーキのオブジェ(毎月22日)と、
まだまだ紹介しきれないのですが、いつ行っても活気にあふれています。
(ゆく川の流れは絶えずして…人の声もまた絶えない鴨川デルタ)
鴨川デルタは、昔からにぎやかなところです。
2つの川が合流するだけでなく、
・近江路(白鳥越・山中越)
・若狭路、
の起点になります。
かつて幸神社(道祖神)がこの付近にありましたが、
デルタが運送・交通の要衝であったことを示しています。
また、糺河原(鴨川デルタ)は「無所有」「無縁地」(権利の空白地帯)で、
しかも、2つの河原が合体するため広々としています。
こういった事情から、古来、芸能興行や商業の場所としてにぎわい、
中でも糺河原勧進猿楽は有名で、能楽の普及に大きな役割を果たしています。
時には山法師や一揆など武装蜂起の集合場所になり、
東方勢力と京中勢力との防衛ラインにもなりました。
デルタの近くにある桝形商店街は、
城壁の形状である桝形虎口に由来するそうです(諸説あり)。
(河原での興行の様子。鴨川はエンタメの聖地)
鴨川デルタは、ストリートミュージシャン・デモ参加者が集まる新宿アルタ前のようなところだったのです。
※ちなみに、今は条例で、河原で興行をすること、花火をすること、バーベキューをすることなどが禁止されています。休日明けの鴨川ではゴミが散乱しているのが目につくので致し方ないとは思いますが、世知辛い時代です。
にぎやかな鴨川デルタを脇目に北に向かうと下鴨神社の参道入口があり、
参道は平安遷都以前からある原生林を抜けていきます。
古代山背の雰囲気を残しており、
第六感を持ちあわせていない私でも、
いずまいを正して参詣しないとという気持ちになります。
(古代山背の姿を残す数少ない場所。現在マンション建設で揺れている。)
日本文化の本質は「聖・俗」あるいは「聖・賤」の交錯にあると思うのですが、
デルタと糺の森はそれを思わせます。
名実ともに京都で1番の神社でしょう。
私自身、下鴨神社が大好きで10年以上、定期的に神社に行っています。
ここ数年は下鴨神社の古本市に行って、
帰りに「さるやのかき氷」をたべるのがマイブーム。
最近では、パワースポット?として注目されているらしく
20代、30代の女性やカップルの姿が目立つようになりました。
縁結びの相生社・連理の木や
森見登美彦氏の小説・アニメ(「有頂天家族」「四畳半神話体系」)
の影響もあるのかもしれません。
以前は参拝客がほとんどいなかった河合神社にも参拝客が集まっています。
不思議に思って行ってみると・・・
河合神社が美人の神社としてフィーチャーされていました。
なぜ美人の神様なのか新しく設置された由来書をみても理解できませんでした。
どこかの経営コンサルタントの戦略ぽいです。
河合神社の名前は川の合流点からくるのですが、
由来書にかかれそうで少し怖いです。
河合神社や相生社は女性やカップルの信仰?を集めていますし、
朱塗りの門と本殿は記念撮影をする観光客でごった返しています。
(下鴨神社・楼門)
◇出雲井於神社(いずもいのうえ神社)
本殿、相生社・河合神社と対照的に
出雲井於神社(比良木社)は参拝する人もまばらで
いつもひっそりとしています。
(本殿の左脇にある出雲井於神社。比良木の名前にも意味がありそう。)
私も最近まで、まったく気にも留めてませんでした。
下鴨神社の西側には、出雲路橋、出雲路町という地名があるのですが、
なぜ京都に出雲の地名があるのか疑問におもったのがきっかけで
出雲井於神社に注目するようになりました。
今回はその辺の謎を調べてみたいと思います。