【相国寺・七重塔】 幻の大塔を求めて③
件の大塔はどこにあったのでしょうか??
そして、今でも痕跡は残っているのでしょうか???
場所をさぐる前に、七重塔の規模を推測してみませう。
◇中古京師内外図
中古京師内外図によれば、
109m×109mの敷地に七重塔が立っていたとのこと。
しかし、この地図は室町時代の京都の地図を江戸時代に作成したものなので
信頼性にやや欠ける。
◇東大寺・東西塔
そこで、相国寺大塔に次ぐ規模の仏塔の発掘結果を参考にします。
相国寺大塔に次ぐ規模の仏塔といえば、東大寺七重塔(西塔・東塔)でしょう。
文献などから高さは70m以上あったそうで、東大寺に今でも基壇が残されています。
基壇の一辺の長さが約25m、高さが2m前後です。
(東大寺・西塔基壇跡)
東大寺の基壇の大きさから
相国寺大塔は、少なく見積もっても
・基壇の一辺の長さ:30m以上
・基壇の高さ:2m以上
・回廊を含めた敷地の一辺の長さ:60m以上
あったのではないでしょうか。
(東大寺七重塔・復元模型)
次回は、
大塔が立っていた場所について探っていきたいと思います。
【追記】
◇礎石について
大規模な建造物を建造する場合には、柱の土台として礎石が敷かれます。
そうしないと掘立柱になってしまい、せっかく立派な建物を建てても柱が根元から腐って長持ちしません。しかし、五重塔・大極殿クラスの建造に使われる礎石になると巨大です。東大寺西塔基壇跡には、基石が抜き取られた跡が凹みとして残っています。凹みは埋まりやすいにも関わらず、700年以上たつのに凹みとして残っていることは驚きで、礎石の大きさを物語っています。重機がない当時、巨石を加工し、都まで運搬するのには多大な労力がかかるので、非常に高価なものとして扱われていたはずです。
(今の労働価値に換算すると恐ろしい額になりそう…)
東大寺西塔跡には、礎石の一部が残されています。あまりに大きいので楔で割って他の用途に流用されたようです。
(礎石の残骸、これでも大人二人は座れます。)
相国寺大塔の礎石も倒壊後に他の用途に流用されたはずです。高価な礎石を放っておくはずがありません。
室町幕府の次の権力者が流用していて、
今でも現役でがんばっているかもしれませんね。