京都痕跡町歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎①

 

今回は、京都の東寺の寺宝「両界曼荼羅」に秘められた意味を探ってみたい。

 

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※国宝:両界曼荼羅

 

今まで曼荼羅を見ても、

 

「ゴテゴテして品のない美術だな」くらいにしか考えず、

 

美術館や宝物殿を華麗にスルーしていましたが、

 

山折哲雄氏の「空海の企て」という本を読んで、

 

曼荼羅のエロテックで神秘的な世界観に驚いた。

 

両界曼荼羅は、金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅に分けられるが、

 

金剛界男性原理を、胎蔵界曼荼羅女性原理を意味している。

 

行者は、この曼荼羅と向き合い瞑想に入り、

 

男性原理と女性原理が交合するイメージを作り

 

悟りの境地に入るというのだ。

 

我々一般人が想像する仏教僧の修行法とはずいぶんとイメージが異なる。

 

この精神世界は密教経典・理趣経に通ずるものだ。

 

空海最澄理趣経の貸し出しを求められた時に、

 

「経典だけで勉強すると誤解を招きかねない」として

 

最澄の求めを断った逸話が有名だが、

 

曼荼羅の隠れた意味を知ると空海の心情がよく理解できる。

 

描かれた曼荼羅パンテオンには、

 

半裸のエロテックでエキゾチックな女神にあふれてる。

 

また、男性原理の金剛は、固く屹立した男性器を意味し、

 

図式的には 三角形(△) ←マリモッコリに見えませんか??

 

で表現され、

 

女性原理の胎蔵は、女性器を意味し、

 

図式的には 逆三角形(▽) ←ビキニの女性に見えませんか??

 

で表現される。

 

そして

 

男性原理と女性原理の交合は、

 

ヘキサグラム=△+▽で表現される。

 

実は曼荼羅にもそのシンボルが隠されているのだ。

 

ここで、話が大きく変わる。

 

ひと昔大流行した「ダビンチコード」である。

 

おいらは読んだことがないのだが、

 

メインテーマは、

 

マグダラのマリアはキリストの妻である。

・聖杯は女性原理の逆三角形を意味し、マリアの子宮。

・剣は男性原理の三角形を意味し、キリストの血

・キリストとマリアの聖婚は、ペンタグラムで表現される。

 

空海曼荼羅の中に女性原理を隠したように、

ダビンチがこれらの秘密を絵画の中に隠した

 

ということだ??たぶん。

 

どこまでが創作なのかはわからないが、

 

異端とされた原始キリスト教の一派の思想には、

 

「男性原理と女性原理の交合で完全なものになる」

 

という発想があったように思われる。

 

どうも東の密教と西の原始キリスト教には、

 

「女性原理+男性原理=完全」という

 

弁証法的思想が背後に隠されているようだ。

 

神話学・宗教学とオカルトとが交錯する話だが、

 

世界宗教史」、「世界女神大全」など

 

比較的信頼できる文献??を参考に

 

次回以降、もう少し詳しくみてみたい。

そして両者の相互の影響の可能性をさぐりたい。

 

空海の企て 密教儀礼と国のかたち (角川選書)
 
世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで(上) (ちくま学芸文庫)

世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで(上) (ちくま学芸文庫)

 
図説世界女神大全

図説世界女神大全

 

 

【心霊スポット?】京都北山・愛欲の狐坂

 

京都の狐坂(きつね坂)は、

 

北山・松ヶ崎と岩倉・国際会館を結ぶ峠道で

 

京都屈指の心霊スポットとして名高い??そうです。

 

おいらは、時々夕方にマラソンで狐坂に行きますが、

いままで出会ったことがないのです。

高架が出来てからはそれほど薄暗さを感じられず、

もう心霊が出ることはないでしょう。

うむ…残念。

 

前からその名前の由来について気になっていたので

 

今回は、狐坂について書いてみます。

 

狐坂についての資料を探してみましたが、

なかなか見つからない。

 

ようやく見つけたのがこれ‼

   ↓

新猿楽記

 

平安時代のエリート官僚・藤原明衡が書いた書物なので

さぞかしお固い読みものと思いきや

 

無邪気でエロくて舌鋒鋭い

 

のです。

 

物語中の男は、財産目的

 

20歳年上の女を本妻にするのだが

 

男の妻に対する

 

悪口雑言の調べをご堪能ください♪

 

 第一の本妻は、

すでに60にして紅顔ようやく衰えたり。

首の髪を見れば「はは」として、朝の霜のごとく

面のしわに向えば畳々(じょうじょう)として暮れの波のごとし

上下の歯は欠け落ちて飼い猿の顔のごとく、

左右の乳は垂れて夏牛のふぐりに似たり。

化粧を致すといえどもあへて愛する人もなく、

あたかも極寒の月夜のごとし。

媚び睦ぶることを為すといえどもさらに厭ふ者多く、

なお、盛夏の陽炎のごとし。

吾が身の老衰を知らずして、常に夫の心のなおざりなることを恨む。

故に

本尊の聖天は供すれども験なきがごとく、

事物の道祖は祭れども応少なきに似たり。

野干坂(きつねざか)の伊賀専(いがとうめ)が男祭には蛤苦本(女陰)を叩いて舞ひ、

稲荷山の阿古町が愛法には鰹破前(男根)をうせつて喜ぶ。

五条の道祖「しとぎ」(もちごめ)餅を奉ること千葉手(ちひらて)、

東寺の夜叉飯「きかて」を祀ること百「あじか」

千社を叩いて踊り、百幣をささげて走る。

嫉妬のまぶた毒蛇の擾乱せるがごとし

憤怨の面悪鬼の「がっさい」するに似たり。

恋慕の涙面上の粉を洗い

愁歎の炎肝中の朱を焦がす

 

※参照

大系 日本の歴史〈4〉王朝の社会 (小学館ライブラリー)

大系 日本の歴史〈4〉王朝の社会 (小学館ライブラリー)

 
新猿楽記 (東洋文庫)

新猿楽記 (東洋文庫)

 
 

 

よくも、まーそこまで・・・

 

蛤苦本」・「鰹破前」と、

 

臆することなく筆を走らせる様は

 

四六駢儷形式の文章から解放された平安人の自由闊達な精神にあふれている。

 

訳は新猿楽記 - Wikipediaで確認していただくとして

 

要約すると

 

夫に「夜の営み」を拒否された老妻が、

性欲に身を焦がし、神仏の力で夫の愛情を得ようと

奮闘しているということです。たぶん。

 

愛欲の願掛けのなかに

 

野干坂(きつねざか)伊賀専男祭には

蛤苦本(女陰)を叩いて舞ひ」

 ※専(とうめ):女狐または老女の意

 

とあるように京都北山の「狐坂」が登場している。

 

狐坂には

「伊賀の女狐」を祀る稲荷社があり、

稲荷社の男祭で

女が女陰を叩いて踊った

 

とのことだ。

 

もうすこし解釈すると

 

狐坂の周辺には、

豊穣・性愛の神として男根を崇拝する土着信仰があり、

それが稲荷信仰と結びついて、

稲荷の男祭が行われていた。

男祭りでは、

男神を楽しませる神楽として

年老いた女が自らの女陰を叩いて舞った

 

ということだろう。たぶん。

 

「沙石集」「敬愛の祭」にもよく似た話がでてくる。

 和泉式部

夫の愛情を取り戻すべく、

貴舟神社敬愛の祭りを執り行った。

祭りでは、

赤い御幣を並べ、

神社の年老いた巫女下半身をさらけ出し

女陰をたたいて舞った。

性愛の仏教史: 愛欲と破戒の秘史を読む - 藤巻一保 - Google ブックス

  

とある。

  

現代の清く正しく美しい日本人からは信じられない話だが

 

古事記にも

 

アメノウズメのストリップ劇(神楽の起源)

 

が記載されている。

 

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」

=アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。

 

古の日本人にとって、

 

「祭りと性愛」は密接な関係

 

があったのだろう。

盆踊り 乱交の民俗学

盆踊り 乱交の民俗学

 
古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる (講談社学術文庫)

古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる (講談社学術文庫)

そこからは

 

ネアカでラテン民族のような日本人の原像

 

が浮かび上がる。

 

静かで上品な日本人は

 

明治維新後の学校・家庭教育たまものなのだ。

 

いいかわるいかはわからないが、

 

外国に比べ自己肯定力の低い子供の量産、草食系男子・絶食男子ということからしても

 

もう少しイタリアンな情操教育が必要かもしれない。

 

(イタリアでは教科書でロレンツィオの言葉「青春はうるわしされど逃れゆく楽しみてあれ明日は定めなきゆえ」を教えるらしい。ななめ上を行っている。ちなみに自殺率は経済的停滞にも係らず日本の4分の1以下。低成長社会の先輩として見習うべきかも)

 

また

 

平安時代の性的な開放性の他に驚かされるのは、

 

愛欲の願掛け(いわゆる「愛敬法」)

の種類の豊富さだ

 

稲荷信仰・ダキニ天信仰

道祖神信仰

歓喜天(聖天)信仰 

密教の夜叉神信仰

※追記参照

 

仏教神道・土着信仰すべてのオプションが用意されている。

 

平安貴族の女性たちは、

 

妻問婚で自らハンティングできないから

 

愛されること」「美しくいること」は切実。

 

和歌のスキルを上げて男の心をつなぎとめるのにも限界がある。

 

そこで「スピリチュアル」

つまり愛欲の願掛けの需要が高まり、

 

その需要に呼応して

 

各宗教が様々な非公式の呪術を生み出し、

 

貴族の財力にすり寄っていった。

 

※これらの呪術は、通常の神仏には叶えられない願いを成就させる強力な効能があるとされたため、時の権力者が政敵に利用されることを恐れ「秘法中の秘法」・禁術(外法)とした(平家物語参照)。これらの術は、途中で祀ることをやめると祟るなど副作用も大きいとされた(これはインドの「契約」神(ミトラ・ヴァルナ)とも関係があるのだろう。ひょっとしたら旧約聖書の神(十戒でおなじみの)とも同根かもしれない。)呪術のリーサルウェポン(最終兵器)。これでダメなら諦めろという含みがあるのだ。また、術者は禁を犯し罪を問われるリスクを負うので、術の報酬が「天が蓋で地が器」と言われるほど大きかったという。とても庶民が手を出せる代物ではなかった。

呪いと日本人 (角川ソフィア文庫)
 

 

平安時代の宗教・密教(天台宗真言宗)の本質は、

 

貴族に現世利益を提供するサービス業だったのだ

 

現代社会でいうところの美容健康サービス業。

 

美しくありたい、愛され続けたいという愛欲は、

 

今も昔も変わらない。

 

そろそろ本題の狐坂の由来に戻ろう。

 

手持ちの資料からはどうもはっきりしない・・・

 

原始的な男根崇拝の祭りが松ヶ崎に昔からあって、

 

男祭り→性愛→稲荷社建立→祭神:「伊賀の女狐」

 

ということで狐坂という地名が生まれたのかもしれない。

 

あるいは、

 

松ヶ崎の地理的理由からかもしれない。

 

平安時代今昔物語集には、

 

まとめて5話の狐の話(第27巻の37~41)が収録されている。

だいたい以下のように筋が決まっている。

 女狐が、

 

麗しい女性の姿になりすまし、

 

お馬にのせてくださいまし」などと愛らしい仕草

 

男をニートラップにかけるのだが、

 

男に刀で脅され、

 

化けの皮がはがれ

 

恐怖のあまり酷くくさい尿をもらしながら

※キツネは縄張りをもち、マーキングする習性がある。

 

こんこん」と泣いて山に逃げ帰る。

 

狐に人間を害する意図はなく、

 

好奇心から人間に近づいてくる。

※キツネは警戒心が強いが好奇心も強い。

 

男は、「殺しとけばよかった」と建前上は狐への憎悪をみせるのだが、

 

おそらく狐の愛くるしさに心奪われていて本気で殺す気はない。

 

 ※キツネの習性をとらえた記載になっており、身近に狐がいたことがうかがわれる。

 

 

このように

 

平安人は、

 

狐に対して

 

 

憎しみと愛情

 

 

の二律背反の感情を持っていた。

 

狐のもつ

 

女性のような優美さ・愛くるしさ、鼠を退治する益獣性

 

荼枳尼天(だきにてん)の化神、陰獣・妖獣性

 

二面性がそうさせたのだろう。

 

狐のもつ陰湿なイメージは、

 

留学した密教僧が中国から日本に持ち帰り

 

呪術と共に「最先端の知識」として貴族に広めたのである。

 

今でいえば、

 

ハーバード大学に留学していた秀才が日本に帰ってきて

 

「これがワールド・スタンダードだ‼」などと学んできた知識をひけらかす

 

・聴いてる方は、聴いてる方で良くわからないもんだから、

 

「なーんか違和感あるけど、ハーバード大学だから凄いのだろう」

 

とありがたがる

 

といったところか。

 

日本古来の狐に対する素朴な感情舶来の最新知識の間で

 

平安貴族のこころは揺れたのだろう。

 

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 ※ホンドギツネ(須坂市動物園ホームページより)

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 荼枳尼天(だきにてん)wikipediaより

もともとはインドの女神(ダーキニー)。シヴァに仕える最下層カーストの娼婦がモデルとされ、娼婦たちは行者を快楽に導く特殊技術(セックステクニック)を持っていたという。インドから中国に伝わり、日本へは密教の鬼神(荼枳尼天)として伝来。男女の性行為を修行に位置づける左道密教においては、荼枳尼天は酒を飲み死んだ人間の肉(人黄)を喰らい交接(セックス)をすることで大楽(トランス状態)を得るエログロな女神とされる(なお、日本には空海が持ち帰った「理趣経」は左道密教系統に属する経典)。墳墓を荒し死肉を喰らう点でジャッカル(野干=日本では狐)とイメージが重なる。当初、荼枳尼天真言宗・東寺系の僧によって信仰されていたが、伏見稲荷が東寺の勢力下に入る過程で(伏見稲荷の氏子が伏見区から東寺のある南区・下京区まで広く分布しているのはその名残)、稲荷社と荼枳尼天の習合(仏教神道の理論的摺り合わせ)がおこる。もともとは農耕信仰だった稲荷・狐信仰の性格は、荼枳尼天の影響を受け、愛敬法・性愛・呪術等の性格を帯びることとなる。荼枳尼天の霊験は、その異神性ゆえに強力とされ、天皇の即位の際に行う儀式(東寺即位法)に導入されるなど時の権力者の守護呪術とされた。反面、呪法を政敵に利用されることを恐れ、権力者以外の利用を禁じ、外法(禁術)と位置付けた。その後、稲荷と狐は商売の神様となり全国的に普及し、陰湿・外法的なイメージは薄まるが、それでも狐には、狐火・狐憑きなどの暗いイメージが残ってしまう。

今昔物語集 本朝世俗篇 (下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

今昔物語集 本朝世俗篇 (下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 

 ※荼枳尼天の伝来については、巻末解説「狐の話」を参照

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

 
古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

 

※陰獣・妖獣性(化ける狐)・稲荷と狐の関係が簡潔に説明されている

 

そして、

 

物語中、狐と遭遇するのが

 

夕暮れ時人里はなれた場所

・都の中でも樹木がある場所

(怪奇譚でおなじみの「宴の松原」)

夕暮れ時平安京の路地

だが月明りのある場所

 

である。

 

これらの場所・時間に共通するのが、

 

薄暗いことである。

 ※真っ暗ではないというのがポイント

 

平安人は、

 

夜行性の狐と

夕暮れ時あるいは

薄暗い場所で遭遇し、

 

「何だろう?」という猜疑心

 

追はぎ・山賊あるいは鬼に対する恐怖心、

 

インド・中国から伝わった陰獣・妖獣のイメージが相まって、

 

怪異としての狐を見たのだろう。

 

今昔物語集も、

 

 

狐は、相手(人間)の心の持ちようでさまざまに行動するらしい

 

 

 

と総括している。

 

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

 

 

松ヶ崎の狐坂も、

 

日陰になる部分が多く薄暗い

 

この地形的理由から狐坂の名が付き、

 

その後、

 

狐→稲荷→性愛・巫女→狐坂の男祭り

 

と発展したのかもしれない。

 

まだまだ調査不足なので、

 

結論は今後の宿題としたい。

 

いずれにしても

 

狐坂には、

 

平安時代狐のお社(稲荷社)があり、

 

非公式に愛欲成就を祈祷する場所だった。

 

今となっては

 

狐から愛欲祈願のイメージは失われたが、

 

密教の妖獣としての狐のイメージは

 

1200年以上経てもまだまだ健在で、

 

狐坂が心霊スポットとされることに一役かっている。

 

密教日本人の心象風景に与えた影響は根深い

 

 

松ヶ崎の昔話京都新聞|ふるさと昔語り)

・松ヶ崎に伝わる「人助けをする狐火」の昔話があるが、この昔話は平安時代までは遡らないだろう。

妙円寺の古井戸の昔話

松ヶ崎の妙円寺には古井戸があるが、狐にまつわる言い伝えが残る。

「キツネの子がこの井戸にはまって死んだ。すると稲荷の親キツネが現れ『今後一切井戸を掘ってはならぬ。掘れば不幸が訪れる。その代わりどんな日照りでも神通力で涸らさぬようにする』と告げたと伝える。以来水道ができるまで,東部の17軒はこの井戸一つで過ごしてきたという。この石標は東松ヶ崎の人々が生活用水として使った古井戸の跡を示すものである。 」(京都市HPより抜粋)松ヶ崎には狐にまつわる言い伝え・昔話が多い。山の南側には松ヶ崎一帯を縄張りとする狐が住んでいたようだ。

都名所図会(江戸時代のるるぶ)

・木が多い茂っている坂だから「木摺(きづれ)坂」「木列(きつれ)坂」という名が付きその後「狐坂」に変化したと記されてる。ただ、平安時代の新猿楽記にはすでに「野干坂」(野干=狐)と呼ばれている点、平安・鎌倉時代の古地図には「狐坂」と記載されており、江戸時代の古地図には「キツレ坂」と記載されている点が気になる。稲荷社も無くなり、漢字が読めない庶民に地名が伝承(耳コピ)されるうちに、「狐坂」という漢字の意味から離れて、発音しやすいキツレ坂に変化したのではないかと個人的には思う。

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平安時代頃の古地図(花洛往古図)・「狐坂」の記載がある

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江戸時代の古地図(名所手引京圖鑑綱目)・「キツレ坂」の記載がある。

※狐の社

・かつて京都には御土居という城壁があったが、その城壁に狐が巣穴を作って住んでいたらしい。そのうちに狐が信仰の対象となり、いまでも狐の社がいくつか残っている(石井神社、平一大明神、市五郎神社。「平一」「市五郎」は狐の名前だろう)。また、平家物語の「鹿谷」には、「賀茂の上の社にある聖をこめて、御宝殿の御うしろなる杉の洞(ほら)に壇をたてて、ダキニ天(キツネはその化神)の法を百日行わせらる」とあり、狐の巣穴を祭祀としたと思われる記載がある。昔は狐が身近にいたようだ。松ヶ崎に「伊賀の女狐」という狐が住んでいて、その巣穴を祀る狐の社(稲荷社)ができ、狐坂という名前になったというのが案外正解なのかもしれない。

御土居堀ものがたり

御土居堀ものがたり

 

歓喜寺と涌泉寺

 松ヶ崎にはかつて歓喜寺という天台宗の寺があったが(上記平安時代の地図参照)、寺の住職が夢で翁からお告げを聞いたことがきっかけで、寺と松ヶ崎村の檀家全員が日蓮宗に改宗する(現在では日蓮宗・涌泉寺となっている。松ケ崎の五山の送火が「妙」「法」なのは村が全体が日蓮宗だから。)夢の中の翁は白狐にまたがっていたという。ダキニ天は白狐にまたがった姿で描かれることが多いし、稲荷神は翁の姿で表現されることがある。住職が見た翁は間違いなく「稲荷神」。改宗に当たって村人を説得するために「稲荷神」を持ち出したのだろう。古くから松ヶ崎の人々が稲荷神を深く信仰していたことを伺わせるエピソードだ。

 

【追記】

大田神社の里神楽(ちゃんぽん神楽)について

大田神社(上賀茂神社の摂社)は、京都で最古級の神社である。

大田神社の里神楽は、老齢の巫女が神楽を舞う珍しい様式(年配の巫女が担当するということで旋舞なのにスロー)で神楽の原型とされる。

別名ちゃんぽん神楽鈴の音(ちゃん)と太鼓の音(ぽん)がその理由。鈴の音は、空気とか目に見えないものを浄化します。いわばファブリーズ。逆に目に見えるものは水で浄化します(禊)。

古の日本では、魏志倭人伝卑弥呼と弟のように宗教的権威は女性に世俗的権威は男性にありました(二重権力構造)。これは上賀茂神社葵祭(斎王代)にもみられる。宗教的権威のある巫女は、高速旋舞(巫女舞)でくらくら(トランス状態)になって神おろしをし、神託を行った。だからトランス型の巫女舞神楽の原始的形態とかんがえられている。トランス型の巫女舞は日本から消滅したが、ここの神楽にはその痕跡である巫女の旋舞(超スローだが)が残っているので、神楽の原型といわれている。

老齢の巫女とが舞う理由は、長寿を祈願するためとされるがもう少し深い理由があるように思う。野干坂の伊賀専の男祭敬愛の祭から老齢の巫女と性愛には何らかの連関がありそうだ。また、大田神社の祭神はアメノウズメ。もともとは豊穣と性愛に係る神おろしの神事だったのかも。老齢の巫女と神楽の事例を収集していくと面白いことがみつかるかもしれない。

www.youtube.com

※神降ろしの後、鈴で参拝客に神力を送ります。

神楽と出会う本

神楽と出会う本

 

 

稲荷信仰 (塙新書 52)

稲荷信仰 (塙新書 52)

 東寺の夜叉神と性愛

東寺の夜叉神と性愛

東寺には今でも雄雌の夜叉像が残っている。夫婦の夜叉である。性神摩多羅神と同一神とされ、三つある顔がそれぞれ、歓喜天・ダキニ天・弁財天という。一体の仏像に4つの性愛の神が同居している形になっている。すざまじい効力がありそうだ。ただ、祟り神としても認識されており、副作用も大きそう。

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歓喜天(聖天)と性愛について

歓喜天密教により日本に伝来しているが、我々にはなじみが薄い。それには理由があって、歓喜天は男女が絡みあった仏像であるため、公序良俗に反する恐れと左道密教への傾斜の危惧もあり、秘仏中の秘仏とされ非公開とされるからだ。もともとはインドの毘那夜迦(ビナヤカ・象頭の破壊神)という神様。荒ぶる神・毘那夜迦を観音菩薩が交接することで抑え込み、善神へと導いたという神話がもとになっている。刀身と鞘といったところか。実際、荒くれ男も妻子ができると急に丸くなるよね。愛されたり、守る対象ができると破壊される側の気持ちが分かるようになるものだ。また、歓喜は性的恍惚であり、性愛の神に位置づけられる。日本の歓喜天は二体の象が抱き合っている物が多いが、チベット密教など左道化した地域の歓喜天は露骨な性的表現となっている。

 

道祖神と性愛について

新猿楽記の老女は、道祖神に願掛けを行っているが、

道祖神と性愛の関係は過去の記事参照


【巨大!!古代道路】京都山科に東山道/東海道を探す

信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ

(信州の千曲川の石も、あなたが踏んだものなら 宝石だと思って拾いましょう)

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 千曲川(千曲市観光協会HPより)

 

万葉集東歌の一首です。

 

・上毛野安蘇の真麻群かき抱けど飽かぬを何どか吾がせむ

高麗錦紐解き放けて寝るが上に何ど為ろとかもあやに愛しき 等

 

ストレートな愛情表現の多い東歌にあって

 

この歌は初々しい繊細な感情が漂う。

 

持ち物じゃなくて、踏んだ石っていうのが、また恥じらいがあっていい。

 

現代人の心にもスッと入ってくる万葉秀歌の1つ。

 

どのような状況で詠んだのかは定かではありませんが、

 

信州と都を結ぶ古代東山道上田市付近で千曲川を渡河しているので、

 

千曲川を渡り、東山道を通って都に旅立っていった男性(防人?)を偲んで

 

心を寄せていた乙女が詠んだのではないかと想像します。

 

秘する恋。いいですね~

 

かわいいな~ 千曲の乙女。

 

と・・妄想がすぎました・・・ 

 

千曲川を渡って都に向かう東山道保福寺峠を越えていきます。

 

私は数年前に保福寺峠を歩きました。

 

カラマツと新緑に包まれた峠からは、

 

純白の雪を頂いた北アルプスの名峰が聳え、

 

眼下にはみずみずしい安曇野が広がった。

 

そして、冷たい風が荒れた峠を吹き抜けていた。

 

東山道は、木曽・伊那谷を越え北アルプスのさらに西へと延びていました。

 

都・九州へ向う防人たちは、

 

眼前に立ちはだかる峻険な峰々を前に何を思ったか。

 

逆に、蝦夷討伐の兵士たちは、

 

木曽・伊那谷を越えて峠にたどりついた。

 

地のはて、陸奥(みちのく)への入口に立ち何を思ったか。

 

あの風景は今も忘れられない。

 

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※保福寺峠より北アルプス安曇野を望む(長野県観光協会HPより)

峠には「信濃路は今の墾道刈株(はりみちかりばね)に足踏ましむな履(くつ)はけ我が夫(せ) 」の万葉句碑がある。信濃路の険しさを感じさせる。

 

 

今回は、古代の官道(東山道)に注目してみたい。 

 

 

奈良時代から平安時代にかけて朝廷の力が増すにしたがって、

 

都と地方を結ぶ道路も整備されていきました(駅伝制)。

 

東北・信州と都を結ぶ東山道もその1つです。

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 ※吉見町役場HPより

 

 

古道といって侮るなかれ。

 

その幅員は広いところで、40メートル

 

直線的に伸びるのが特徴。

 

    ずどーーーーん!!

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※五万堀古道・茨城に残る東山道痕跡茨城県教育財団2000年/総合流通センター整備事業地内埋蔵文化財調報告書)

 

畑に残る東山道ソイルマーク!!

 

      萌え~~!!

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 ※大東遺跡(大田市)

 

 

と・・・テンションが上がりすぎました・・・

 

現代の高速道路をイメージするといいようです。

 

ちなみに 

 

高速道路建設のために発掘調査をすると古代道路の遺構が出てくることが多いそうです。

奈良・平安時代の測量技術の高さ、道路計画の合理性がうかがえます。

 

古代道路はその大部分が失われましたが、大規模かつ直線とい特徴があったため

 

地図をよく観察するとその痕跡を見つけることができます。

参照:【古代道路探索の手引き】

http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/users/his1/pdf/chiri.pdf

 

山科に古道・東山道(東海道)の痕跡を探してみませう。

 

【問い】

こちらの地図から東山道(東海道)の痕跡を探してください。><

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 ※東名自動車道・京都東付近の地図

 

 

 

お気づきになられただろうか・・・(心霊番組風)

 

 

 

 

【答え】

下の地図を見てください。

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 ブルーのマーカー部分が、旧東海道(近世)の道筋です。

一方、赤いマーカー部分が、滋賀県京都府の県境(府境?)です。

 

幹線道が県境になることが多いのですが

 

ここでは旧東海道と県境が微妙にズレています。

 

このことから古代の道路は、ブルーと赤のラインで挟まれた部分だったと推測される。

 

古代の道は近世東海道よりも広く、その道の端が境界線(県境)となったが、

その後、道が狭くなった結果、近世東海道と境界線が分離してしまったというわけだ。

 

古代道の幅員は、広いところで1町(約109m)と

 

地方の古代官道の痕跡と比べても規格外です。

 

 

なんとジャンボジェット機も離着陸できる広さ!!

 

世界最大のエアバスA380の緊急着陸

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 http://a380airbus.com/wp-content/gallery/a380/biggest-jet-airbus_a380_front-takeoff.jpg

 

 

幅員1町と巨大な道路になったのは、

条理制で1町ごとに区切られた田畑を道路に転用したからだ。

 

※参照:『日本霊異記』下卷第十六

「女人、濫シク嫁ぎて、子を乳に飢ゑしむるが故に、現報を得る縁」と題する説話に「大和の国鴉鳩の聖徳王の宮の前の路より、東を指して行く、其の路鏡の如く、広さ一町許、直きこと墨禅の如く、辺に木草立てり。」という道路の記述がある。http://hist-geo.jp/pdf/archive/120/124_001.pdf (P3下)

 

 

渤海使(乙姫さまの住む竜宮城からの使節…)

山科経由で京都にやってくることもあったので

見栄を張ったのかもしれない。

 

※参照:司馬遼太郎街道をゆく・湖西のみち」

 

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※県境は段差になっていて水路が流れる

 

 ※帯状の空き地(菜園)が古代道路痕。脇の水路が県境になっている。

https://goo.gl/maps/KpQSZhZTUNH2 (3D表示)

 

 ※難解な県境/府境(京都市/大津市)の標識 

 「近世東海道を基準とした県境と「古代東海道(東山道)」を基準とした県境がせめぎ合う場所では、このような難解な標識になってしまう.家の中を境界線が走っているところもあるそうだ。複雑な境界線は公共サービス上のトラブルの原因になりそうだが、隠れた歴史遺産でもあるのだ。

 

身近にあるなんでもない畑に古代道路の痕跡は残っていて、

 

それは、はるか信州・陸奥まで続いていた。

 

そこを多くの人生が通り過ぎたのだ。

 

 

古代道路は地図グーグルアースで探すことができるので

古代の旅ビトに思いをはせながら探してみてはいかがでせう??

 

※参考資料

完全踏査 古代の道―畿内・東海道・東山道・北陸道

完全踏査 古代の道―畿内・東海道・東山道・北陸道

 
日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン (平凡社新書)

日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン (平凡社新書)

 
改訂新版 万葉の旅 中 (全3巻) (平凡社ライブラリー)

改訂新版 万葉の旅 中 (全3巻) (平凡社ライブラリー)

 
 

【異国の北野天満宮②】臥牛像の謎

◆臥牛像の謎

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wikipediaより

 

北野天満宮を訪れると多くの牛の像があり、

 

なぜ牛の像があるの??

 

と疑問に思われる人も多いのではないでせうか?

 

今回は、このなぞ解きをしたいと思います。

 

北野天満宮のHPを見てみると次のように書かれている。

 

 御祭神菅原道真公(菅公)と牛にまつわる伝説や逸話が数多く残され、菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でありました。延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております

 

つまり、

 

・祭神の菅原道真公が丑年生まれ

・牛車の逸話

 

が由来だとしている。

 

しかし、

 

牛の像を祀るのにはもう少し深~い理由がある。

 

雷神信仰

 

北野の地は、平安遷都以前、賀茂氏秦氏が居住した地です。

秦氏賀茂氏は血縁関係を結んでいた

 

いずれも農耕を生業としており、菅原道真を祀るよりも前から雷神を祀っていた。

 

なぜ、雷神を祭るか?というと、

 

①雷は恵みの雨をもたらす兆しであり、

 

②水田に落雷する様子をみて稲穂の結実には落雷が欠かせないと考えていたからだ。

 

雷のことを「稲妻」という。

「稲の妻」つまり「稲に欠かすことのできない存在」

と呼ぶことからもわかるだろう。

 

近年の研究からも、落雷が大気中の窒素を地上にもたらす役割が明らかにな

 

◆殺牛農耕祭祀

 

さらに、農耕には雷の他に牛が欠かせせない

地中を深く耕すには牛が必要で、

牛は今でいうトラクターの役割を果たしていたのだ。

 

そこで、雷神だけでなく牛を祀っているという訳だ。

 

ただ、牛を祀るだけでなく、

 

どうも雨ごいのために牛を生贄にしていたと思われる。

参考:http://www.miyakejima-university.jp/uploads/a7a880f76d57125cd1b68b378d817c23f4238709.pdf 

京都 (岩波新書)

京都 (岩波新書)

 

犠牲」という熟語が牛偏でできていることからも、

 

牛と生贄は切っても切れない関係にあることが分かる。

 

しかし、

 

牛=生贄」(殺牛農耕祭祀)というロジックは、

 

日本のものではなく中国・韓国由来の発想です。

 

秦氏は渡来人集団であり、

 

賀茂氏は葛城から山背に移動してきたが、

 葛城で活動していたころに殺牛祭祀の風習をもつ渡来人と融合していた。

 

彼らが、殺牛祭祀を北野の地に持ち込み、

 

それが北野天満宮の臥牛像という形で残ったのだ

 

◆七夕伝説と殺牛祭祀

 

雨ごいのために、大切な牛を殺すの??

 

現代の日本人にはよくわからないロジックなので

 

もう少し掘り下げたいと思います。

 

ここで話がかわるが、七夕のお話しをおさらいしましょう。

 

日本では七夕伝説は次のようなストーリーとして定着している。

 

つまり、

 

織姫と彦星(牽牛)は、天上界でそれぞれ織物と農業にいそしんでいたが、

おつきあいを始めると、恋愛に夢中になり仕事をしなくなったので、

天帝が怒り、二人を天の川で隔てて、1年に1回だけ会うことにしたという

悲恋の物語である。

 

日本の七夕のストーリーは、恋愛の部分がクローズアップされ、

もともとのストーリーの本質部分が抜け落ちている

 

七夕のストーリーはもともとは中国由来の伝説です。

 中国での七夕のストーリーは次のようなものだ(適当)。

 

昔々、あるところに牛使いの男(牛郎)が住んでいた。ある日、飼っていた牛が「泉に天女が舞い降り水浴びをするので、羽衣を隠して天上界に帰れないようにして自分の妻にしてしまえモー。さすがにその歳で独身はやばいモー。」としゃべりだした。男は驚いたが、牛のいうことも最もだと思い天女を自分の妻にしてしまった(監禁かよ‼)。その後、男と天女の間には子供ができ夫婦として幸せな生活を送った。しかし、天女は天上界で織物の仕事をしており、西王母は、「織物ができないと困る」と怒り、男が留守の間にいやがる天女を無理やり天上界に連れ帰った(今度は拉致!!)。帰宅した男は、途方にくれたが、哀れに思った牛が「私の命は長くないモー。私を殺して、私の皮を着てみるモー。そうすれば天上に上って天女を取り戻しにいけるモー」といった。男は長年苦楽を共にした牛を殺すことに躊躇したが、なきじゃくる子供たちを見て決意。牛を殺し皮を着て天女を追った。男が西王母に迫ろうとしたとき、西王母はかんざし(勝)を抜き男に投げつけた。そうすると天の川ができ、男と天女は離れ離れになってしまった。

※機織りは世界秩序のメタファー。「北極星(秩序)=西王母→機織りの器具「勝」(地軸との類似性) →機織り→織姫」の連関がある。「織姫と彦星→織物と牛による農業」で文明の象徴でもある。

 

注目すべきは、牛の役割である。

 

牛は、男をサポートする存在で、

牛の皮は、地上界と天上界を繋ぐアイテムなのだ。

 

中国の他の伝承には、

 

もともとは牛は天上界にいたが、

飢饉に困る地上界の人間に同情し、天上界の食料庫から

穀物を奪って地上界に降らせたが、天帝の怒りを買い、

牛は地上界に追放されたという話がある。

 

このことから、

牛は単なる家畜ではなく、

人間を助ける堕天使的存在で、

地上界と天上界の媒介としての機能があるのだ

 

北野天満宮で行われた殺牛農耕祭祀の根源には、

 

牛=天上界との媒介=通信手段という発想がある。

 

殺牛→電話器→「もしもし天帝ちゃん?オレオレ、飢饉で困ってんだけど雨を至急よろしこ~」というイメージです!?

 

北野天満宮の牛は、古代中国の信仰に由来するというお話でした。

※さらに殺牛祭祀は、オリエントのミトラ教(「牡牛を屠るミトラ」は有名なモチーフ)にまで遡れるのではないかとの指摘もある(摩多羅神トラ音写説・参照)。その辺はよくわからないが、ワクワクする話ではある。

JAIRO | 常行堂の守護神・摩多羅神

 

【参考文献】

西王母と七夕伝承

西王母と七夕伝承

 
謎の古代豪族 葛城氏(祥伝社新書326)

謎の古代豪族 葛城氏(祥伝社新書326)

 
中西進と歩く万葉の大和路 (ウェッジ選書)

中西進と歩く万葉の大和路 (ウェッジ選書)

 

・藤沢駒次郎「京とくらしと出来事」(京都近鉄百貨文化サロン)

 

【追記】

◆古代の賀茂祭・秦氏の牛祭り

葵祭の前身の古代の賀茂祭の内容が「本朝月令」の「秦氏本系帳」に記載されている。

その中に「猪の頭を被って祭祀をおこなった」という奇妙な記載がある。これも殺牛祭祀と関連性があるのかもしれない。

また、京都三大奇祭に摩多羅神牛祭りがあるが、これも殺牛祭祀に関連しそう。

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 牛祭り wikipediaより

◆乳牛院

北野天満宮と牛との関係は、殺牛祭祀だけではない。

意外だと思われるかもしれないが、

平安時代には乳牛院という官営の牧場北野天満宮の近くにあったのだ。

(※「三代実録」には、牧童の失火により周辺の野が焼けたとの記載もある。)

馬喰町という地名も北野が牧場であったことに由来する。

(※馬喰町は、現在飛地になっている牛舎が離れていたのだろうか?)

北野で生産された牛乳は、宮中に届けられレアチーズ(蘇)にして食べられた。

正月には宮中で「蘇甘栗」(蘇と甘栗をあわせたもの)を食べるのが習わしで、

このデザートを届けるための役職(蘇甘栗使)まであったそうだ(しかも名誉職)。

宮内庁大膳課・レアチーズ係・特命係長」てな感じでしょうか??

 

※蘇甘栗使は六位の蔵人が務めていた。六位の蔵人は下級官僚ではあるが、天皇秘書官的立場であったので大極殿に上がることができ、しかも天皇クラスの高貴な者の着物である麴塵袍の着用が許されていたという。枕草子清少納言は「めでたきもの」の1つとして六位の蔵人を挙げ、「蘇甘栗使として参上した時には、蔵人は大変なもてなしを受けるので、どこの天下人がやって来たのかと思うほどである」と書いている。おいしいスイーツの到着をみんなが心待ちにしていたのでしょうか??それにしても地位の低い者が天皇と同じ扱いを受けることを「素晴らしい」・「痛快」とする清少納言の評価が面白い。清少納言の反骨精神が垣間見える。

※【蘇の作り方】

 ・材料:牛乳

 ・作り方:煮詰めて固形にする。以上。

 実際に作ってみたが、おいしいのだがやや乳臭い

 はちみつ(蘇蜜)か甘栗のクラッシュ(蘇甘栗)をまぜて食べたほうがいいです。

 ちなみに藤原道長蘇蜜を食べたそうですよ~

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※蘇 wikipediaより

【異国の北野天満宮①】三光門の謎

 

今回は、北野天満宮へ異国を探しに行きませう。

 

◆星欠けの三光門

 

北野天満宮の参道をまっすぐ行くと三光門がある。

 

北野天満宮菅原道真を祀ることで知られているが、それより以前から天神を祀っていた(続日本後記)。この天神信仰三光信仰といい、日月星をお祭りしていたのだ。三光信仰からすると門に日・月・星のシンボルを施さなくてはならないが、ここの門には星のシンボルがない。このことから「星欠けの三光門」として北野天満宮の七不思議に数えられている。

※ちなみに三種の神器は日月星の象徴(鏡=日、勾玉=月、剣=星 ←七星剣を想起)です。

星が欠けている理由だが、北野天満宮のHPでは以下のように説明されている。

 

本殿前の中門は三光門と呼ばれ、神秘的な「星欠けの三光門」伝説が残っています。それは、門の名は日・月・星の彫刻に由来しているけれども星は天上に輝く北極星のことで、実際には刻まれていないという説。平安時代、御所の場所は現在とは異なり当宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りをされる際、三光門の真上に北極星が輝いていたからだと伝えられています。

 

 

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※星欠け三光門 北野天満宮HPより

 

つまりは、御所の北にある北野天満宮を遥拝したとき、北極星が見えるからわざわざ彫る必要はなかったというのだ。真相は如何に??

三光門全体が五芒星の形に見えるので、門全体が星を表すのでは?(妄想)

 

ここで三光信仰についてもう少し掘り下げてみよう。

 

三光信仰のベースは北辰妙見信仰で、北辰(北極星)を崇拝する中国の信仰だ。

北辰信仰は世界樹信仰というオリエントから地中海・北ヨーロッパに広がっていた古代信仰にルーツをもつ。

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北欧神話世界樹(ユグドラシル)、生命の樹とも呼ばれる。北極星が高い位置にくる地域、つまり比較的緯度の高い地域で住んでいた民族が信じたのだろう。wikipediaより

 

夜空は北極星を中心に回転しており、これをみた古代人は「世界は、大地に傘が刺さっているような構造でである」と想像した。天空を「傘」、樹木を「傘の柄(宇宙軸)」に見立て、大地から北極星に向かって樹木が伸び大地と天を繋いでいると考えた。樹木を通じて天使が行き来をする天地を繋ぐエレベーターと考えたのだ。

世界樹を軸として天空が回転していることから、北極星に伸びる世界樹あるいは北極星を畏敬の対象にしたのだ。

 

旧約聖書ダニエル書にも世界樹の記述がでている。

 

 

ネブカドネザル2世が別な不吉な夢を見た。それは天に達する一本の高い木に、豊かな実が実り、鳥が巣を作り、動物は木陰に宿っていたが、聖なる天使が下って来てその木を切り倒し、切り株だけを地中に残したというものであった。

 

平安貴族のシルクロード (角川選書)

平安貴族のシルクロード (角川選書)

 

 中国では、世界樹須弥山として描かれる。

 

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須弥山 wikipediaより

 

壁画・彫刻になると山頂には北極星のシンボルとして女神・「西王母」が描かれる。

中国の古墳から出土した図(五胡十六国時代)を見てほしい。

 

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中央にそびえるのが世界樹・須弥山である。周りは火山で覆われており頂上部はオーバーハングしていて容易に登れそうにない。

 

左下には太陽の象徴の三足カラスが描かれている。日本でいうヤタガラスである。

太陽とカラスが結びつけられたのは太陽の黒点をカラスに見立て、三本足は陰陽思想のを象徴するからだろう。ヤタガラスは古事記にもでてくるが元をたどると中国の思想なのである。また、ヤタガラスが神武天皇を導くが、鳥が王を導くというストーリーはフン族で有名なハンガリーの建国神話にもでてきている。建国神話は、ユーラシア大陸騎馬民族との結びつきがあるのだ。日本のヤタガラス・日本代表のエンブレム・建国神話は舶来物なのだ。

 

そして、右には九つの尾をもつ狐が描かれている。九尾の狐である。能の殺生石」・最近では「うしおととら」「NARUTO」などのアニメでもおなじみですね。須弥山に上がってくる者から天上界を守っているのである。もとは九本の尾すべてに獅子の頭部がついていり、グロい姿なのだがマイルドな表現に変化した。

 

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 ※葛飾北斎の九尾の狐 傾国の王妃に化ける話。西王母とのイメージの連関があるのだろうか。wikipediaより

 

そして頂上には西王母が鎮座する。西王母の頭には「」という道具が突き刺さっている。少しわかりくいので他の墓地の壁画↓を見てください。

 

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これは機織りの道具である。機織りには世界を調和させる意味合いがあると考えられている。また、機織りは、非常に重要な産業でした。今でいえば自動車産業です。特に養蚕は中国以外には知られていない最先端技術であった。ローマにもシルクロードあるいはインド洋を通じて絹織物が運ばれ珍重された。ローマの百科事典「博物誌」(プリニウス)には、「絹織物は婦人に着させても裸のようでめちゃエロい」(超訳)とかかれています。また中国が製法を極秘にしたことから、ギリシャの頃は作り方までは伝わっておらず、「製法は分からないが、木の繊維を極限までたたきのばして作ったのだろう」(ストラボン・「地理誌」)と記載してる。今の感覚では、織物の道具を重視する理由は分かりにくい、当時は国に財をもたらす重要なアイテムだったのです。七夕伝説の「織姫」にも繋がりますが、この話は次回の臥牛像の謎で触れたい。西王母はもともとは両性具有のグロテスクな神様でしたが、女性の姿に変化した。ユーラシアの地母神信仰・ヨーロッパの女神のイメージが影響したとの説もあり、その関連性が指摘されている。

 

ワントップ西王母ですが、やがてツートップ、男女一対神となる。西王母東王父ですね。

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その後、北極星の地位を天帝に奪われ、月としての地位に納まるのである。

センターを追われたアイドルのようでなんだか悲しい・・・

(古代の女性崇拝から男性優位の社会ヘシフトしたのでしょう)

つまり、北極星が天帝、太陽が東王父・月が西王母です

ここに三光信仰のプロトタイプができあがるのです。

 

三光門のもとをたどれば、ユーラシアの原始信仰の世界樹地母神信仰にたどりつくというお話でした~

 

【追記】西王母地母神

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①チャタル・フユックの地母神

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メソポタミアのイシュタル(紀元前1500頃)と森の神・フンババ

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③ローマのキュベレ

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④中国の西王母

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⑤日本の三角縁神獣鏡

 

西王母の起源はどこにあるのか?

 

諸説あるが、個人的にはオリエントの地母神に起源を求める説に魅力を感じる。

 

西王母の原像 : 中国古代神話における地母神の研究. Author. 森, 雅子 ↓

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&ved=0ahUKEwiuqvvSjNTTAhXHNJQKHYlCDSEQFgg8MAI&url=http%3A%2F%2Fkoara.lib.keio.ac.jp%2Fxoonips%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D59004&usg=AFQjCNHCfQtKkCtmPU44LM77rDTup1YQ7Q

 

 

西王母の原像―比較神話学試論

西王母の原像―比較神話学試論

 

上の5つの意匠をみてほしい。

 

それぞれの意匠には共通点がある。

 

それは

 

女神が両脇にを伴っている

 

ことだ。

 

チャタル・フユックの地母神

 

①はアナトリア(トルコ)のチャタル・フユックで発見された女神像で、

 

紀元前5000年前のものとされ、現時点では最古の地母神像である。

 

アナトリア地母神は後にクベベとなるのだが、

 

このクベベの属性として、

 

・森、山の女神

・百獣の女主人

・両性具有性あるいは性愛=完全性

・豊穣の神

 

があり、最古の地母神もこのような性質を持っていたと考えられる。

 

狩猟採集生活では、

食料としての獣、食をもたらす森、そして繁殖・生産が重要視されたのだろう。

 

チャタル・フユックの地母神は、

 

獣を伴い、ふくよかな姿は繁殖を象徴している。

 

メソポタミアのイシュタルとフンババ

 

メソポタミアギルガメシュ叙事詩の中のイシュタルとフンババ

 

アナトリア地母神に由来すると考えられる。

 

もっとも、メソポタミアでは都市生活が発達し、

森との関係が薄まったため、

 

女性性と獣性が分離され、

 

女性性は「イシュタル」、

 

獣性は「フンババ」に収斂していく。

 

イシュタルは好色な女神で、

 

ギルガメシュ叙事詩では男神を従えていることから

 

豊穣、両性具有性を示している。

 

また、フンババは、ギルガメシュ叙事詩では森の守護神とされている。

 

イシュタルとフンババを一体的に考えれば、

 

二神は、アナトリア地母神の性質をよく継承している。

 

なお、メソポタミアのイシュタルの神殿では、

毎年新年に王と巫女との聖婚が行われる風習があり、

七夕伝説との類似性も指摘されている。

 

◆ローマのキュベレ

 

②は、ローマの女神キュベレーである。

 

キューベレーは、アナトリアのクベベがローマに伝わったものである。

 

こちらも女性が獣を引き連れている。

 

脇に男性神を引き連れているが、これはいわゆるセフレであり、

 

キュベレの両性具有性を象徴している。

 

キュベレーも初期の地母神の特徴をよく引き継いでいる。

 

◆中国の西王母

 

中国の西王母は、

 

龍虎座に座り、両脇に龍と虎の獣を伴う形になっている。

(龍は「東」・虎は「西」の象徴だから、その中心に座ることは世界の中心に座ることを意味している。)

 

また、右脇に男性を引き連れているし

 

西王母東王父とセットで描かれることがある。

 

これを両性具有性とみることができるかもしれない。

 

さらに西王母は、須弥山の頂上にいることから、

 

山岳・森の女神の属性を有している。

 

以上より、西王母はオリエントの地母神の属性を良く備えており、

 

西王母の源流はオリエンの地母神と考えられる。

 

時間的距離的乖離はあるが、シルクロード・激しい騎馬民族の往来、

 

そして、意匠の伝達速度の速さを考慮すると大いに可能性のある説だと思う。

 

三角縁神獣鏡

ちなみに、卑弥呼が所有していた三角縁神獣鏡

 

「神」は西王母、「獣」は神獣を意味します。

 

京都文化博物館にいくと三角縁神獣鏡をみることができます。

 

遠く離れたオリエントの女神を想像しながら、鑑賞するのも乙なものです。

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 ※三角縁神獣鏡 wikipediaより

 

ちなみに奈良の法隆寺には有名な玉虫厨子がありその基壇部分に世界樹・須弥山の姿が見られます。

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 ※玉虫厨子 wikipediaより

※復元された玉虫厨子

http://www.nakada-net.jp/chanoyu/tamamushi_zushi.htm#tamamushi