【異国の北野天満宮①】三光門の謎
今回は、北野天満宮へ異国を探しに行きませう。
◆星欠けの三光門
北野天満宮の参道をまっすぐ行くと三光門がある。
北野天満宮は菅原道真を祀ることで知られているが、それより以前から天神を祀っていた(続日本後記)。この天神信仰は三光信仰といい、日月星をお祭りしていたのだ。三光信仰からすると門に日・月・星のシンボルを施さなくてはならないが、ここの門には星のシンボルがない。このことから「星欠けの三光門」として北野天満宮の七不思議に数えられている。
※ちなみに三種の神器は日月星の象徴(鏡=日、勾玉=月、剣=星 ←七星剣を想起)です。
星が欠けている理由だが、北野天満宮のHPでは以下のように説明されている。
本殿前の中門は三光門と呼ばれ、神秘的な「星欠けの三光門」伝説が残っています。それは、門の名は日・月・星の彫刻に由来しているけれども星は天上に輝く北極星のことで、実際には刻まれていないという説。平安時代、御所の場所は現在とは異なり当宮を北西に臨む千本丸太町に位置し、帝が当宮に向かってお祈りをされる際、三光門の真上に北極星が輝いていたからだと伝えられています。
※星欠け三光門 北野天満宮HPより
つまりは、御所の北にある北野天満宮を遥拝したとき、北極星が見えるからわざわざ彫る必要はなかったというのだ。真相は如何に??
三光門全体が五芒星の形に見えるので、門全体が星を表すのでは?(妄想)
ここで三光信仰についてもう少し掘り下げてみよう。
三光信仰のベースは北辰妙見信仰で、北辰(北極星)を崇拝する中国の信仰だ。
北辰信仰は世界樹信仰というオリエントから地中海・北ヨーロッパに広がっていた古代信仰にルーツをもつ。
※北欧神話の世界樹(ユグドラシル)、生命の樹とも呼ばれる。北極星が高い位置にくる地域、つまり比較的緯度の高い地域で住んでいた民族が信じたのだろう。wikipediaより
夜空は北極星を中心に回転しており、これをみた古代人は「世界は、大地に傘が刺さっているような構造でである」と想像した。天空を「傘」、樹木を「傘の柄(宇宙軸)」に見立て、大地から北極星に向かって樹木が伸び大地と天を繋いでいると考えた。樹木を通じて天使が行き来をする天地を繋ぐエレベーターと考えたのだ。
世界樹を軸として天空が回転していることから、北極星に伸びる世界樹あるいは北極星を畏敬の対象にしたのだ。
ネブカドネザル2世が別な不吉な夢を見た。それは天に達する一本の高い木に、豊かな実が実り、鳥が巣を作り、動物は木陰に宿っていたが、聖なる天使が下って来てその木を切り倒し、切り株だけを地中に残したというものであった。
中国では、世界樹が須弥山として描かれる。
須弥山 wikipediaより
壁画・彫刻になると山頂には北極星のシンボルとして女神・「西王母」が描かれる。
中国の古墳から出土した図(五胡十六国時代)を見てほしい。
中央にそびえるのが世界樹・須弥山である。周りは火山で覆われており頂上部はオーバーハングしていて容易に登れそうにない。
左下には太陽の象徴の三足カラスが描かれている。日本でいうヤタガラスである。
太陽とカラスが結びつけられたのは太陽の黒点をカラスに見立て、三本足は陰陽思想の陽を象徴するからだろう。ヤタガラスは古事記にもでてくるが元をたどると中国の思想なのである。また、ヤタガラスが神武天皇を導くが、鳥が王を導くというストーリーはフン族で有名なハンガリーの建国神話にもでてきている。建国神話は、ユーラシア大陸の騎馬民族との結びつきがあるのだ。日本のヤタガラス・日本代表のエンブレム・建国神話は舶来物なのだ。
そして、右には九つの尾をもつ狐が描かれている。九尾の狐である。能の「殺生石」・最近では「うしおととら」「NARUTO」などのアニメでもおなじみですね。須弥山に上がってくる者から天上界を守っているのである。もとは九本の尾すべてに獅子の頭部がついていり、グロい姿なのだがマイルドな表現に変化した。
※葛飾北斎の九尾の狐 傾国の王妃に化ける話。西王母とのイメージの連関があるのだろうか。wikipediaより
そして頂上には西王母が鎮座する。西王母の頭には「勝」という道具が突き刺さっている。少しわかりくいので他の墓地の壁画↓を見てください。
これは機織りの道具である。機織りには世界を調和させる意味合いがあると考えられている。また、機織りは、非常に重要な産業でした。今でいえば自動車産業です。特に養蚕は中国以外には知られていない最先端技術であった。ローマにもシルクロードあるいはインド洋を通じて絹織物が運ばれ珍重された。ローマの百科事典「博物誌」(プリニウス)には、「絹織物は婦人に着させても裸のようでめちゃエロい」(超訳)とかかれています。また中国が製法を極秘にしたことから、ギリシャの頃は作り方までは伝わっておらず、「製法は分からないが、木の繊維を極限までたたきのばして作ったのだろう」(ストラボン・「地理誌」)と記載してる。今の感覚では、織物の道具を重視する理由は分かりにくい、当時は国に財をもたらす重要なアイテムだったのです。七夕伝説の「織姫」にも繋がりますが、この話は次回の臥牛像の謎で触れたい。西王母はもともとは両性具有のグロテスクな神様でしたが、女性の姿に変化した。ユーラシアの地母神信仰・ヨーロッパの女神のイメージが影響したとの説もあり、その関連性が指摘されている。
ワントップの西王母ですが、やがてツートップ、男女一対神となる。西王母と東王父ですね。
その後、北極星の地位を天帝に奪われ、月としての地位に納まるのである。
センターを追われたアイドルのようでなんだか悲しい・・・
(古代の女性崇拝から男性優位の社会ヘシフトしたのでしょう)
ここに三光信仰のプロトタイプができあがるのです。
三光門のもとをたどれば、ユーラシアの原始信仰の世界樹・地母神信仰にたどりつくというお話でした~
①チャタル・フユックの地母神
②メソポタミアのイシュタル(紀元前1500頃)と森の神・フンババ
③ローマのキュベレ
④中国の西王母
⑤日本の三角縁神獣鏡
西王母の起源はどこにあるのか?
諸説あるが、個人的にはオリエントの地母神に起源を求める説に魅力を感じる。
※西王母の原像 : 中国古代神話における地母神の研究. Author. 森, 雅子 ↓
上の5つ(①~⑤)の意匠をみてほしい。
それぞれの意匠には共通点がある。
それは
「女神が両脇に獣を伴っている」
ことだ。
◆チャタル・フユックの地母神像
①はアナトリア(トルコ)のチャタル・フユックで発見された女神像で、
紀元前5000年前のものとされ、現時点では最古の地母神像である。
このクベベの属性として、
・森、山の女神
・百獣の女主人
・両性具有性あるいは性愛=完全性
・豊穣の神
があり、最古の地母神もこのような性質を持っていたと考えられる。
狩猟採集生活では、
食料としての獣、食をもたらす森、そして繁殖・生産が重要視されたのだろう。
チャタル・フユックの地母神は、
獣を伴い、ふくよかな姿は繁殖を象徴している。
メソポタミアのギルガメシュ叙事詩の中のイシュタルとフンババも
もっとも、メソポタミアでは都市生活が発達し、
森との関係が薄まったため、
女性性と獣性が分離され、
女性性は「イシュタル」、
獣性は「フンババ」に収斂していく。
イシュタルは好色な女神で、
豊穣、両性具有性を示している。
また、フンババは、ギルガメシュ叙事詩では森の守護神とされている。
イシュタルとフンババを一体的に考えれば、
なお、メソポタミアのイシュタルの神殿では、
毎年新年に王と巫女との聖婚が行われる風習があり、
七夕伝説との類似性も指摘されている。
◆ローマのキュベレ
②は、ローマの女神キュベレーである。
キューベレーは、アナトリアのクベベがローマに伝わったものである。
こちらも女性が獣を引き連れている。
脇に男性神を引き連れているが、これはいわゆるセフレであり、
キュベレの両性具有性を象徴している。
◆中国の西王母
中国の西王母は、
龍虎座に座り、両脇に龍と虎の獣を伴う形になっている。
(龍は「東」・虎は「西」の象徴だから、その中心に座ることは世界の中心に座ることを意味している。)
また、右脇に男性を引き連れているし
これを両性具有性とみることができるかもしれない。
さらに西王母は、須弥山の頂上にいることから、
山岳・森の女神の属性を有している。
以上より、西王母はオリエントの地母神の属性を良く備えており、
時間的距離的乖離はあるが、シルクロード・激しい騎馬民族の往来、
そして、意匠の伝達速度の速さを考慮すると大いに可能性のある説だと思う。
「神」は西王母、「獣」は神獣を意味します。
遠く離れたオリエントの女神を想像しながら、鑑賞するのも乙なものです。
論文では指摘がないが、図説世界女神大全によれば、
獅子を伴うオリエントの地母神と同根という。
ちなみに奈良の法隆寺には有名な玉虫厨子がありその基壇部分に世界樹・須弥山の姿が見られます。
※復元された玉虫厨子
http://www.nakada-net.jp/chanoyu/tamamushi_zushi.htm#tamamushi