【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎⑤
約1000年かけて
その中で
農業を覚える者や
ベナレスのような大都で
都市生活を始める者も出てきた。
生活の余裕は彼らに思索の時間を与え、
死後の世界、霊魂について考えるようになってきた。
どんなに優れた教義をもった宗教でも、
お金がなければ存在できない。
宗教史を見る際には、
ビジネス的な視点に立つと見通しがきく。
つまり、
・市場の質と量を分析し、
・どの需要者層にマーケティングすることが
・利益の最大化につながるか
という視点である。
宗教の場合には、
大きな資産をもつが少数の需要者のために教義を提供し、お布施をえるのか
あるいは
小さな資産しかもたないが多数の需要者のために供犠を提供し、お布施をえるのか
というビジネス戦略である。
こういった視点にたち、
ヒンドゥ教と仏教の攻防の歴史を見てみよう。
※立川武蔵「弥勒のきた道」より。分かりやすい♪
◆仏教の誕生と発展
BC500年以降
王侯貴族の勢力が次第に大きくなりはじめ、
仏教は
資力を有する王侯貴族をパトロンとして
勢力を拡大に成功するのである。
さらに
海洋交易で資財を蓄えた商人もパトロンに取り込む。
つまり、
お布施の大きいほど御利益があるというロジックを駆使して
大きな資力を持つ少数の貴族・商人
をメインターゲットにしたのである。
※出家者の生活を守ることが在家信者の務めとされ、布施の功徳の大きさが強調された。わが国の「旦那」や「檀家」は、インドのダーナ(布施)に由来し、英語の「ドナー」と同じ語源である。
◆バラモン教の反転攻勢
バラモン教は一計を案じる。
資力は少ないが数の多い農民層を取り込めば、
仏教に対抗できるのではないかと・・・
そこで、
バラモン教の教義は維持しつつも
インダス文明の頃から農民が信仰している土着宗教を取り入れた
ヒンドゥ教という新たな宗教を誕生させるのである。
誇り高いバラモンにとっては苦渋の選択であっただろう。
この戦略は成功し、ヒンドゥ教は大きな勢力となる。
仏教が手を付けていなかった農民という巨大市場を独占したのである。
◆仏教側の応戦
この状況に仏教側も手をこまねいていたわけではない。
初期仏教とは根本的に異なる
大乗仏教を興し、
農民層の取り込みをはかるのである。
大乗仏教は、
ヒンドゥ教の教義の他に
海洋交易やイラン系部族の侵入によってもたらされた
西方由来の教義をも取り入れ、
一般人にも受け入れられやすい
救済型宗教に舵をきるのである。
◆仏教の敗北
ヒンドゥ教が勢力を拡大を続けていたが、
それは仏教の最大のパトロンのインド商人が大儲けしていたからである。
2・3世紀、西にローマ帝国という巨大な経済圏が登場し、
ローマとの海洋交易でインド商人が巨万の富を得ていた。
インドからローマへは
胡椒、宝石、象牙、綿布、愛玩動物、ラピスラズリが輸出された。
ローマ帝国内ではインド産の物資が原価の10倍で取引され、
貿易収支はローマが赤字で、
赤字を補てんするために
大量のローマンコイン(金貨等)が
ローマからインドへ流出した。
※沖縄からもインドとローマの海上交易が活発だった頃のローマンコインが発掘されたという。インド商人の手を経てはるばる沖縄にたどり着いたものかもしれない。
しかし、
6世紀に西ローマ帝国が滅ぶと、
インド商人も没落し、
それとともに仏教の衰退が決定的になる。
逆に
商人の没落により、相対的に農民の地位があがり、
ヒンドゥ教の勢力拡大は決定的になる。
また、
仏教が延命のために
ヒンドゥ教の教義を積極的に取り込んだことも致命的だった。
仏教もヒンドゥ教の一部であるとのイメージが広まり
(ブッダはヴィシュヌの一形態など)、
仏教はヒンドゥ教に飲み込まれてしまうのである。
単純な模倣戦略や
資産家をメインターゲットとした戦略など
仏教が犯した失敗から学ぶことは多い。
次回は、仏教とヒンドゥ教の隆盛の中で
女性原理はどのように変化したのかを見てみたい。
【追記】
◆大乗仏教と西方の宗教
初期仏教と大乗仏教は根本的に異なる。初期仏教が修行により解脱する宗教であるのに対して大乗仏教は大いなる力に救済を求める宗教である。このような根本的に異なる教義がゼロから生まれたとは考えにくく、他の宗教からの影響があるのではないかとの推測がなされる。西方の宗教由来が疑われるのは下記のとおり。
●弥勒信仰とミトラ教との関連性
●観音菩薩とオリエントのイナンナとアナーヒターとの関連性
・南無阿弥陀仏は、「南無」が「name」に通じ神の名前を呼び帰依することを、
「阿弥陀」が「un(否)/meter(計る)」に通じ、測ることができないほどの無限の光
を意味し、アフラマズダを賞揚する光明信仰に通ずるとの見解
●キリスト教との関連性
大乗仏教とキリスト教が相互に影響を与えたのではないかとの見解
・大乗仏教が興った時期とトマス派キリスト教がインドで勢力を拡大した時期が一致
・キリスト教の救済思想と法華経の「一乗妙法」「菩薩行道」が思想的に一致すること
・トマスの福音書と仏典の文言の共通性(「変成男子」や「光と命」)
http://jairo.nii.ac.jp/0025/00009856
有力な反対説があったり、不明確な点が多い分野であるが、
ロマンのある話だ。
※聖トマス:12使徒の1人。イエスの死を傷口に手を差し込んで確認するまで信じなかったことから「疑い深いトマス」として知られる。トマスはインドまで布教に赴きインドで死んだとされる。トマス派キリスト教は現在もインドで信仰されている。トマスの福音書はグノーシス主義の外典として知られる。トマスが死んだ港町は「サン・トマ(聖トマスの意)」と呼ばれ、そこから輸出された縞織物は江戸時代の日本にももたらされ「桟留(サントメ)縞」とよばれた。
※桟留縞