【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎②
古代宗教における女性原理と男性原理との関係はどのようなものだったのか??
・昔々、メソポタミアに半神半人のギルガメシュという暴君がいた。
・神々は、ギルガメシュを懲らしめるためにライバルのエンキドゥを創造する。
・野山を駆ける野人エンキドゥは、神殿娼婦に導かれギルガメシュ王の統治するウルクにやってくる。
・エンキドゥとギルガメシュは争うが、互いに認め合い親友になる。
・エンキドゥとギルガメシュは、森の悪魔フンババ退治にでかけ、フンババに勝利する。
・大地の女神・イシュタルは、ギルガメシュの雄姿にほれ込み、
求婚するも、ギルガメシュに罵詈雑言を浴びせかけられたうえに振られる。
・メンツをつぶされたイシュタルは激怒し、天の牛を地上に遣わし災いをもたらす。
・そこで、エンキドゥとギルガメシュが協力して天の牛を殺害。
・天の牛を殺したことで、エンキドゥは神々から呪いをかけられ死亡。
・親友の死にギルガメシュは、自分もいずれ死ぬ運命を憂い、永遠の命をもとめて旅をする。
・大洪水を生き延びた男から永遠の命をもたらす植物を手に入れるが、旅の途中で蛇に奪われてしまう。
※死への向き合い方などは東洋思想に親近性がある。世界最古の文学とは思えないほどよく練られた物語
この物語の中で注目すべき点は、
・野山を駆け巡っていた野人のエンキドゥが、
神殿娼婦と交わることで、知恵を得て野人から文明人に変化したこと
・ギルガメシュは、大地母神のイシュタルとの聖婚を拒絶することにより、死を受け入れなければならなくなったこと。逆をいえば、イシュタルを受け入れれば不死を手に入れ人間以上の存在に成りえたこと。
※イシュタルとドゥムジーの神話では、人間であった牧人ドゥムジーは、イシュタルの愛を受けることで、神性が与えられた。
である。
エンキドゥは、この遊び女(神殿娼婦)によって野生の荒々しさを捨て去り獣の状態から人間にかわり、女といっしょにおとなしくウルクに向ったのであるが、この根底には単なる風俗以上の原初の観念が潜んでいるように思われる
とある。
敷衍すると
女性原理と交わることで、
男性原理がアップグレードされる
という思想があったということだろう。
※旧約聖書では「イブにそそのかされたアダムが木の実を食べ知恵を得た」という話があるが、エンキドゥと神殿娼婦の話はその源流にあたる。ギルガメシュ叙事詩では、女性が直接的に男性に知恵を与えたという構造になっており、女性原理が肯定的にとらえられていた。
※ジグラト:神殿の頂上には寝台があり、そこで神婚の儀が行われた。(wikipediaより)
物語だけでなく、
実際のシュメールの王も、
神殿(ジッグラト)の頂上にある寝台で、
塗油行為を伴った神殿娼婦との聖婚により、
その王の地位(王権)を確かなものにした
とされる。
※ギルガメシュ叙事詩には「香油でお前を聖別した女(神殿娼婦)は、今お前のことを嘆いている」と書かれているが、神殿娼婦との交合においては塗油行為が伴っていいたようである。救世主のことをメシア(油を塗られし者)とよぶが、これもシュメールに起源がある。オリエントなどの乾燥地帯ではメンテナンスのために道具や肌に油を塗る行為が一般的に行われていた。そのため「塗油=質を向上させる=完成させる」というイメージの連関があるのだろう。ちなみに、シュメール文明では、契約成立の際に当事者の頭に油を注ぎ合ったそうだが、これも「塗油=完成・成立」というイメージに基づくものだろう。
◆神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)
「王位:…男系長子相続の法は存在しておらず、王が自分の息子によって相続されることは稀だった。シュメールやアッシリアの王の場合、王が誰なのかわからなかった。エサックルナ王は「無名の者の息子」と呼ばれた。…王位に就くためには、この地上の女神を体現している女王と結婚しなければならなかったのであり、これが聖婚の本来の意味だった。」
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◆生贄にされる王
さらに古代メソポタミアでは、
男性原理が女性原理のために一度殺され、
女性原理と交わることで再生する
という思想もあったようだ。
それを示すのが
神話の中の大地母神のイシュタルと夫・ドゥムジーとの関係である。
イシュタルの冥界下りの概要は以下の通り。
ドゥムジーが冥界へ行くと、生物が生殖活動をやめてしまった。
女たちは地上に座り、髪を振り乱して涙を泣かしてドゥムジーの復活を願った。
そこで、イシュタルはドゥムジーを取り戻すべく冥界に下り、
ドゥムジーを連れ帰った。
そうすると地上で生命活動が再びはじまった。
※旧約聖書のエゼキエル書にもよく似た記載があり、イシュタルの冥界下りの話はオリエント世界で普及していたと考えられる。また、東方へも伝播し七夕伝説の起源ともなった。イシュタルは冥界へ行く際に七つの門をくぐりそのたびに衣服を脱がされるという記載がある。冥界と七という数字の関連性は、仏教の「四十九日法会」「初七日法会」にも影響を与えているし、古事記のイザナギは、冥界のイザナミに会いに行く際に、七つの衣服を脱ぐのであるが、これなどはイシュタルの冥界下りの影響を受けていることに疑いないところである(「ギルガメシュ叙事詩」(ちくま学術文庫・解説)「死と再生」(井本英一)参照)。
一年の季節のサイクルを、
・冬になり男性原理(生命活動)が弱まると、
・男性原理は一度殺され、
・女性原理が冥界に下り、
・男性原理と交わることで
・男性原理を再生させる
と解釈したのだろう。
シュメールの王は、神話の世界観をそのまま儀式として再現したそうだ。
つまり、
新年に
王がドゥムジーに扮して、
神殿娼婦がイシュタルに扮し、
神殿の頂上で性行為に及んだ
とのことだ。
また、
シュメールの王朝の後のバビロンの新年祭では、
王は祭司に殴られた。
バビロンの聖典では
「もし王が打たれた時に涙を流さなければ、悪い年の兆候である」
と記されている。
さらに、
バビロンのサカイアの祭りでは、
死刑囚は、祭りの5日間だけ王位を譲られ、
王衣を着て王妃と床を供にすることができたが、
後に串刺しによって殺害されたそうだ。
これらの儀式は、男性原理が一度殺されることを祭りで再現したものだ。
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シュメールでは
男性原理の殺害は、殺牛によって仮託されたのだろう。
エンキドゥは、天牛を殺害し、
天牛の「もも」(生殖器の婉曲表現として用いられる)を切り裂き、
イシュタルに投げつけた。
イシュタルが呼び寄せた神殿娼婦たちは、
天牛のももの上で悲嘆にくれた。
天牛の角は、ラピスラズリと油でできており、
地上に財宝をもたらすことになる。
と書かれている。
・イシュタルの夫・ドゥムジーは
「天界の雄牛」「野生の雄牛」と繰り返し呼ばれているし、
※旧約聖書の雅歌の前身であるシュメールの「聖婚歌」では、
「・私(イシュタル)は野生の雄牛のために入浴し・私は羊飼いのドゥムジーのために入浴し・わき腹に香水をつけ・口に香しい琥珀をぬり・目にコールを塗った・彼(ドゥムジー)は、私の腰を手でなぞり・私の膝をクリームとミルクで満たし・私の恥毛を… (以下略) 」(続きは「世界女神大全1」で)と表現されている。
・娼婦が悲嘆にくれる様は
ドゥムジーが地上から消えた時の女たちの反応とよく似ている。
・また、牛の生殖器と娼婦という組み合わせは、性行為を暗示するものである。
殺牛・去勢=ドゥムジーの死
↓
女たちの嘆き
↓
神殿娼婦が牛の生殖器の上に座る=イシュタルとドゥムジーの交合
↓
天の牛の角=豊穣の回復
とみることができるだろう。
※神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)
「イシュタル:…新年の元日には、イシュタルとタンムズが床をともにすることになっている。そこで、地上の王は神殿の秘密の部屋で女神(神殿娼婦)と交合の儀式を行い、神話的な聖婚を再現する…ギルガメシュによれば、イシュタルは愛人に対して残酷だった。それは、彼女の愛人たちが次々と例外なく、自らの血で大地の生産力を回復させるあの生贄となる男神を体現していたからである。雄牛がこの男神の化身とみなされた場合、その雄牛は去勢され、切断された雄牛の生殖器がイシュタルの像に向って投げつけられた。「これはたぶん、イシュタルをたたえて行われた自己去勢の儀礼に由来する」。イシュタルの巫女たちは年ごとにエルサレムの神殿で女神に男神を捧げる供犠の儀式を行っていた模様である。…彼女に仕える聖なる女たちは、年に一度、生贄にされたタンムーズの死をいたんで声を上げて泣いた(エゼキエル書)」
「アッティス:キュベレのこの世の化身である処女神ナナの息子で…処女神の息子の典型である。アッティスは、成人すると、人類救済のために供犠のため生贄となり、救世主となった。アッティスの肉体はパンとして崇拝者たちが食べた。アッティスは…。去勢され松の木の十字架刑にされた。ナナはシュメールのイナンナ…アッティスの死んだ日は、「黒い金曜日」と呼ばれ、アッティスの像は神殿に運ばれ、…その儀式の間、入信者たちは去勢されたアッティスに習い自らを去勢し、雄牛の供犠において生贄とされた雄牛の男根とともに女神にその切断した男根を捧げた。」
※エフェソスのアルテミス像:胸部の房状の造形は牡牛の睾丸とも解釈されている。地母神と雄牛との繋がりを示唆するものだ。
「ミノス:…神話編纂者は、供犠としてのパシパエー(女神)と雄牛神との交わりを奇妙な倒錯とし、彼女の息子の雄牛の顔を持つミノタウロスを化け物として書き換えた。しかし、生贄の動物数頭との性交の仕草を演じるのは、古代オリエントの女王たちの風習であった」
「これらのテーマ(天の牛)は、オリエント及び地中海世界で発展した牛をめぐる神話(エウローパ神話、ミノタウロス神話など)主としてイベリア半島で行われている闘牛のならわしと関係がある広い文化史との繋がりを持つものであり、今後の解明が期待される問題と思われる。」
◆イエスとマリア
このように古代メソポタミアにおいては、
女性原理が男性原理を完成させ、
男性原理は一度殺害された後に
女性原理によって復活を遂げる
という思想があったようである。
ギルガメシュがイシュタルを罵倒するなど
大地母神イシュタルの地位(女性原理)に陰りがみえるが
それでも女性原理はまだ主導的地位にあった。
古代オリエント世界では地母神(女性原理)の地位は強大だった。
これらの思想は、
キリスト教のイエスとマグダラのマリアとの関係にも通ずるものがある。
マグダラのマリアは「塔(ジグラト)の上のマリア(神殿娼婦)」という意味があるし、
イエスは地上の王・キリストとして一度死に復活を遂げているが、
聖婚を思わせる塗油行為(イエスにナルドの香油を注ぐ行為)や
※ナルドの香油:インド交易によってもたらされた香草(ナルド)から抽出される。非常に高価なもので1瓶が300万円ほどする‼イエスに対するマリアの畏敬の深さを物語る。
イエスの復活の目撃など
イエスの復活に関与したのはマリアである。
キリスト復活の物語は、
イシュタルとドゥムジーの聖婚儀礼と構造が極めて類似しており、
キリストの復活物語は
メソポタミア・バビロンの神話の強い影響のもとに
成立したと考えられる。
キリスト教のマリア信仰のベースには
「マリヤによる福音書」「トマスによる福音書」「フィリポによる福音書」からも
オリエントの聖婚思想に裏打ちされたマリアの能力と権威や
家父長的思想への対抗軸としての両性具有的存在への回帰を
読み取ることができる。
一方、
正典とされる四福音書からは
多かれ少なかれマグダラのマリアを牽制することによって
使徒的で家父長的な教会の権威が際立たされている。
おそらくは、
原初キリスト教団におけるマリアの権威は大きく、
対立が生じたのだろう。
最終的にはマリアの派閥は敗北するのだが、
オリエントの地母神信仰に裏打ちされたマリア信仰は根強く、
キリスト教の「裏」の信仰として受け継がれるのである。
※世界女神大全Ⅱ
「マグダラのマリアに先行してあった神話的伝統に照らしてみると彼女が復活したキリストを「園丁」であると「見誤ったこと」が、極めて重大な意味を帯びてくる。シュメール文明において女神イナンナの息子=愛人には「園丁」という名前が与えられていたからであり、その際にイナンナは自分の主人を失って涙を流したからである。また、この息子=愛人を供犠する儀式には神殿付の女祭司による塗油行為が含まれていたことは、マグダラが文字通り「神殿=塔の女」を意味する事実と、またもや興味深い符合を見せるのである。売春と塗油の結びつきも示唆的である。なぜならば、女神の宗教における神殿付女祭司の役割には神聖な儀式としての塗油及び売春行為が含まれていたからである。塗油行為は、エンキドゥに対するギルガメシュの悼みの言葉を想起させるものであり、「汝に香油を塗りし淫売は、いま汝を悼む」と解釈されているが、ここでの「淫売」は、(本来的な意味は)「神殿付女祭司」なのである。」
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※聖婚
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シュメールの学者・クレーマーもキリスト復活の物語とシュメールの聖婚の関連性を指摘する。
※神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)
キリスト:「油を塗られた者」の意。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来する。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシャ語chrism)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めた(Rawson,Philip.Erotic Art of the East)…昔は聖なる結婚で王権が保たれたため、…その正式な叙位式として塗油行為が行われた。詩篇作者の「あなたは私の頭に油を注ぎ」という言葉は、神-王の男根に油を塗った古代の慣習から来たものである。そしてこの「頭」とは男根の婉曲表現…やがて(聖婚が)行われなくなり、そのために男根に油を塗ることに代わって頭に油が塗られるようになるのである。新約聖書のキリストのように救世主は葬りのためにのみ油を塗られることとなった(「ヨハネによる福音書」12:7)。葬りとは、大地との結婚であった。イエスがキリストとなったのはマリアがイエスの葬りの用意のために、イエスのからだに香油をそそいだ時であった(「マタイによる福音書」26:12)。マリアはまたイエスの復活をも告げた(「マルコによる福音書」15:47)。