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京都痕跡町歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【京都と地震】松茸・平茸・木曽の義仲①

◆無塩(ぶえん)のひらたけ

 

最近は、スーパーで霜降り平茸(ホクトプレミアム)が手に入るので、

 

オイラは、平茸汁を作ってよく食べる。

 


ヒラタケ汁を作るきっかけは、

 

木曽義仲の話(「ぶえんの平茸」)を知って、

 

どんな味なのか気になったから。

 

以下、平家物語源平盛衰記

無塩のひら茸」(超訳)を紹介しませう。

 

 木曽の山中で育った義仲が、

京へ攻め上がり

平家を京から追い出して権力を手中にする。

 

京都の公家は、

こころの中では義仲を「田舎者」と馬鹿にしているが、

表向きは恭順している。

 

猫間中納言もその一人で、

※「猫間」という場所に住んでいたから「猫間殿」と呼ばれていた

 

義仲の屋敷に挨拶へいくのである。

 

「お昼時に来られたのだから、猫様に昼食をご用意しろ」

 

「いえいえ、私は結構です・・・」

 

(貴族は朝夕の二食しか食べないんだよ。体を使う武士や農民とは違うんだよ。そのくらい常識だろ。変な物出されたら嫌だし…それから麻呂の名前は「猫間」!「」じゃないから!怒)

 

「ちょうど無塩のヒラタケが手に入ったので。御馳走しますよ!!」

(故郷の木曽でもよく生のヒラタケを食べたよな~ヒラタケは生に限る。猫様もきっとお喜びになるであろう)

 

「!?」

 

(「無塩」?「無塩」のことを「生」だと勘違いしてるな。あほやな。生魚のことを「無塩の魚」とはいうけど、生のキノコのことを「無塩のキノコ」とはいわねーよ。田舎者め。)

 

籾殻の残った「山盛り」のご飯

山菜三品

・ヒラタケ汁

義仲と猫間殿の前に用意される。

 

「!?」

(えっ!籾殻付き。しかも山盛り!!田舎くさっ!。それに何?この器。漆が禿げてるやん。きたね~ 使いたくね~)

 

「がつがつ」(うめ~ホクトプレミアムうめ~)

 

「ん?」

(なんで、猫様は食べないんだ?。器が汚いからか??)

 

「その器は汚いものであるものか。私が特別な日にだけ使う大切な器なんだから。」

 

「では…」

(あんたが大事にしてたって汚いもんは汚ねーよ。こりゃだめだ。口をつけた振りをして残そう…残りは家来に食べさせよう。うん。そうしよう。)

 

「猫様だけに猫並みの食欲ですな。

これが世にいう『猫のくいさし』か!(大爆笑)

かきこんでしまいなさい!さー!一気に!うまいから」

 

「・・・」

(くそっ。田舎者め。あー、こいつと係りたくねー)

 

猫殿はあきれて、義仲の館を後にするのだった。

 

※「猫の喰いさし」は猫間殿の家来に譲り渡されるのだが、主人が主人なら家来も家来で、田舎侍の用意した食事だと嫌がり、義仲が大事にしていた器もろとも馬小屋に捨ててしまいます。かわいそうな義仲兄貴・・・当時は飢饉が頻発しており、義仲が上洛する2年前には京都では15万人の人口のうち4万人が餓死したそうだ(方丈記)。義仲も兵糧のやり繰りには頭を悩ませただろう。このような時代状況で「食事を振舞うこと」また「捨てること」の意味を考えると、この物語の見え方も変わってくるだろう。

 ※正確な解釈は「木曽義仲の一汁三菜 」↓で

https://baika.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=18&item_no=1&page_id=13&block_id=26

 

「雅な猫」と「義仲の兄貴」、

友達になるならどっちがいいですか??

 

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

 

 

おいらは義仲派ですが

 

義仲の貴族文化(旧勢力)に対する無理解は、

その後の義仲の運命を変える。

 

木曽義仲は貴族から協力を得られなくなり、

貴族の協力をえた他の新興勢力源頼朝によって

滅ぼされるのである。

(源頼朝は貴族文化にも精通していたという)

 

 

木曽義仲ホリエモン

源頼朝三木谷社長

 

オーバーラップしてしまう。

 

新興勢力の戦略としては、

 

エスタブリッシュメント(旧勢力)の懐に入り込み、

 

利用し尽くした段階で、内部から切り崩す

 

というのが正解

 

(会社で出世するときにも…)

 

義仲の兄貴には、分かっていてもできないだろうな~

 

愛すべき性格です。美女の巴御前も義仲のそこに惚れたのだろうね。

 

ちなみに義仲の兄貴は色白イケメンですよ。性格に反して。

 

一方、

 

信長の前の覇者・三好長慶は、京都文化の素養を身に着けているし、

 

織田信長は貴族に取り入り、その後は天下統一の踏み台にする。

 

木曽義仲の失敗を学んでいたのかもしれない。

 

さて、

 

義仲が京都で活躍していた頃(1183年頃)

 

「無塩の平茸」の話があるように

 

京都でも生の平茸が食べられていたようだが、

 

その後、生の平茸は稀少食材となっていく。

 

その原因のひとつに

 

地震」があるのだが、

 

その辺の話は次回に。