読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

京都痕跡町歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【異国の北野天満宮②】臥牛像の謎

北野天満宮

◆臥牛像の謎

f:id:korot:20160521170112j:plain

wikipediaより

 

北野天満宮を訪れると多くの牛の像があり、

 

なぜ牛の像があるの??

 

と疑問に思われる人も多いのではないでせうか?

 

今回は、このなぞ解きをしたいと思います。

 

北野天満宮のHPを見てみると次のように書かれている。

 

 御祭神菅原道真公(菅公)と牛にまつわる伝説や逸話が数多く残され、菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でありました。延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております

 

つまり、

 

・祭神の菅原道真公が丑年生まれ

・牛車の逸話

 

が由来だとしている。

 

しかし、

 

牛の像を祀るのにはもう少し深~い理由がある。

 

雷神信仰

 

北野の地は、平安遷都以前、賀茂氏秦氏が居住した地です。

秦氏賀茂氏は血縁関係を結んでいた

 

いずれも農耕を生業としており、菅原道真を祀るよりも前から雷神を祀っていた。

 

なぜ、雷神を祭るか?というと、

 

①雷は恵みの雨をもたらす兆しであり、

 

②水田に落雷する様子をみて稲穂の結実には落雷が欠かせないと考えていたからだ。

 

雷のことを「稲妻」という。

「稲の妻」つまり「稲に欠かすことのできない存在」

と呼ぶことからもわかるだろう。

 

近年の研究からも、落雷が大気中の窒素を地上にもたらす役割が明らかにな

 

◆殺牛農耕祭祀

 

さらに、農耕には雷の他に牛が欠かせせない

地中を深く耕すには牛が必要で、

牛は今でいうトラクターの役割を果たしていたのだ。

 

そこで、雷神だけでなく牛を祀っているという訳だ。

 

ただ、牛を祀るだけでなく、

 

どうも雨ごいのために牛を生贄にしていたと思われる。

参考:http://www.miyakejima-university.jp/uploads/a7a880f76d57125cd1b68b378d817c23f4238709.pdf 

京都 (岩波新書)

京都 (岩波新書)

 

犠牲」という熟語が牛偏でできていることからも、

 

牛と生贄は切っても切れない関係にあることが分かる。

 

しかし、

 

牛=生贄」(殺牛農耕祭祀)というロジックは、

 

日本のものではなく中国・韓国由来の発想です。

 

秦氏は渡来人集団であり、

 

賀茂氏は葛城から山背に移動してきたが、

 葛城で活動していたころに殺牛祭祀の風習をもつ渡来人と融合していた。

 

彼らが、殺牛祭祀を北野の地に持ち込み、

 

それが北野天満宮の臥牛像という形で残ったのだ

 

◆七夕伝説と殺牛祭祀

 

雨ごいのために、大切な牛を殺すの??

 

現代の日本人にはよくわからないロジックなので

 

もう少し掘り下げたいと思います。

 

ここで話がかわるが、七夕のお話しをおさらいしましょう。

 

日本では七夕伝説は次のようなストーリーとして定着している。

 

つまり、

 

織姫と彦星(牽牛)は、天上界でそれぞれ織物と農業にいそしんでいたが、

おつきあいを始めると、恋愛に夢中になり仕事をしなくなったので、

天帝が怒り、二人を天の川で隔てて、1年に1回だけ会うことにしたという

悲恋の物語である。

 

日本の七夕のストーリーは、恋愛の部分がクローズアップされ、

もともとのストーリーの本質部分が抜け落ちている

 

七夕のストーリーはもともとは中国由来の伝説です。

 中国での七夕のストーリーは次のようなものだ(適当)。

 

昔々、あるところに牛使いの男(牛郎)が住んでいた。ある日、飼っていた牛が「泉に天女が舞い降り水浴びをするので、羽衣を隠して天上界に帰れないようにして自分の妻にしてしまえモー。さすがにその歳で独身はやばいモー。」としゃべりだした。男は驚いたが、牛のいうことも最もだと思い天女を自分の妻にしてしまった(監禁かよ‼)。その後、男と天女の間には子供ができ夫婦として幸せな生活を送った。しかし、天女は天上界で織物の仕事をしており、西王母は、「織物ができないと困る」と怒り、男が留守の間にいやがる天女を無理やり天上界に連れ帰った(今度は拉致!!)。帰宅した男は、途方にくれたが、哀れに思った牛が「私の命は長くないモー。私を殺して、私の皮を着てみるモー。そうすれば天上に上って天女を取り戻しにいけるモー」といった。男は長年苦楽を共にした牛を殺すことに躊躇したが、なきじゃくる子供たちを見て決意。牛を殺し皮を着て天女を追った。男が西王母に迫ろうとしたとき、西王母はかんざし(勝)を抜き男に投げつけた。そうすると天の川ができ、男と天女は離れ離れになってしまった。

※機織りは世界秩序のメタファー。「北極星(秩序)=西王母→機織りの器具「勝」(地軸との類似性) →機織り→織姫」の連関がある。「織姫と彦星→織物と牛による農業」で文明の象徴でもある。

 

注目すべきは、牛の役割である。

 

牛は、男をサポートする存在で、

牛の皮は、地上界と天上界を繋ぐアイテムなのだ。

 

中国の他の伝承には、

 

もともとは牛は天上界にいたが、

飢饉に困る地上界の人間に同情し、天上界の食料庫から

穀物を奪って地上界に降らせたが、天帝の怒りを買い、

牛は地上界に追放されたという話がある。

 

このことから、

牛は単なる家畜ではなく、

人間を助ける堕天使的存在で、

地上界と天上界の媒介としての機能があるのだ

 

北野天満宮で行われた殺牛農耕祭祀の根源には、

 

牛=天上界との媒介=通信手段という発想がある。

 

殺牛→電話器→「もしもし天帝ちゃん?オレオレ、飢饉で困ってんだけど雨を至急よろしこ~」というイメージです!(ホントに?)

 

北野天満宮の牛は、古代中国の信仰に由来するというお話でした。

※さらに殺牛祭祀は、オリエントのミトラ教(「牡牛を屠るミトラ」は有名なモチーフ)にまで遡れるのではないかとの指摘もある。その辺はよくわからないが、ワクワクする話ではある。

 

【参考文献】

西王母と七夕伝承

西王母と七夕伝承

 
謎の古代豪族 葛城氏(祥伝社新書326)

謎の古代豪族 葛城氏(祥伝社新書326)

 
中西進と歩く万葉の大和路 (ウェッジ選書)

中西進と歩く万葉の大和路 (ウェッジ選書)

 

・藤沢駒次郎「京とくらしと出来事」(京都近鉄百貨文化サロン)

 

【追記】

◆古代の賀茂祭・秦氏の牛祭り

葵祭の前身の古代の賀茂祭の内容が「本朝月令」の「秦氏本系帳」に記載されている。

その中に「猪の頭を被って祭祀をおこなった」という奇妙な記載がある。これも殺牛祭祀と関連性があるのかもしれない。

また、京都三大奇祭に摩多羅神牛祭りがあるが、これも殺牛祭祀に関連しそう。

f:id:korot:20160521205922j:plain

 牛祭り wikipediaより

◆乳牛院

北野天満宮と牛との関係は、殺牛祭祀だけではない。

意外だと思われるかもしれないが、

平安時代には乳牛院という官営の牧場北野天満宮の近くにあったのだ。

(※「三代実録」には、牧童の失火により周辺の野が焼けたとの記載もある。)

馬喰町という地名も北野が牧場であったことに由来する。

(※馬喰町は、現在飛地になっている牛舎が離れていたのだろうか?)

北野で生産された牛乳は、宮中に届けられレアチーズ(蘇)にして食べられた。

正月には宮中で「蘇甘栗」(蘇と甘栗をあわせたもの)を食べるのが習わしで、

このデザートを届けるための役職(蘇甘栗使)まであったそうだ(しかも名誉職)。

宮内庁大膳課・レアチーズ係・特命係長」てな感じでしょうか??

 

※蘇甘栗使は六位の蔵人が務めていた。六位の蔵人は下級官僚ではあるが、天皇秘書官的立場であったので大極殿に上がることができ、しかも天皇クラスの高貴な者の着物である麴塵袍の着用が許されていたという。枕草子清少納言は「めでたきもの」の1つとして六位の蔵人を挙げ、「蘇甘栗使として参上した時には、蔵人は大変なもてなしを受けるので、どこの天下人がやって来たのかと思うほどである」と書いている。おいしいスイーツの到着をみんなが心待ちにしていたのでしょうか??それにしても地位の低い者が天皇と同じ扱いを受けることを「素晴らしい」・「痛快」とする清少納言の評価が面白い。清少納言の反骨精神が垣間見える。

※【蘇の作り方】

 ・材料:牛乳

 ・作り方:煮詰めて固形にする。以上。

 実際に作ってみたが、おいしいのだがやや乳臭い

 はちみつ(蘇蜜)か甘栗のクラッシュ(蘇甘栗)をまぜて食べたほうがいいです。

 ちなみに藤原道長蘇蜜を食べたそうですよ~

f:id:korot:20160521213400j:plain

※蘇 wikipediaより