京都痕跡街歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【京都と出雲氏】 消えた出雲族を探して⑤

記紀の中の出雲(神武東遷以降)

 

 国譲り後の記紀を見ていきませう。

 

天孫降臨ー神話から歴史へ

 

アマテラスは地上界にニニギを派遣します。ニニギは九州に天孫降臨

降臨以前が神話の世界で、降臨以降が人間界の話,つまり歴史になります。

天孫族に寿命ができた逸話(コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話)を挟み込んでいることからも明らかです。

 

ここで、

 

なぜ国譲りを受けたアマテラスの子孫が、大和でも出雲でもなく、

遠くはなれた日向に降り立ったのか?

 

大きな疑問が生じます。

 

しかも、

 

この後、ニニギの孫のイワレヒコ(神武)が東遷して大和に入るのですが

土着勢力に大きな抵抗を受けます。

 

これでは何のための国譲りだったのかと思います。

 

グリーン席を予約していたのに、自由席に座らされ、

グリーン車両に移動しようとすると車掌に制止させられるみたいな話です。

なんのための予約か!!(怒)

 

謎です。

 

ひとつの考え方として、

 

国譲りは神々の契約であり、人間界は関係のないかもしれません。

ただ、まったく関係ないかというとそうではなく、

神々の働きにより、いずれ人間界にも神々の契約通りの世界が成立する。

現に地上に降り立った天孫族はピンチになると神に助けられている

記紀大和朝廷の正当性を明らかにすることが目的です。

天孫族による旧勢力の駆逐を神々の契約が正当化するという見立てでしょうか。

 

とはいえ、出雲神話天孫降臨の接続の悪さは否めない。

 

◇神武東遷

 

九州を出発したイワレヒコは、大和までは順調に歩を進めますが、

大和の陸軍大将ナガスネヒコにまさかの敗北。

イワレヒコの兄は、この戦の傷が原因で死んでしまう。

(記紀では、なぜか兄が不遇な目にあう。海彦・山彦も。かつては末子相続だったのでしょう。ちなみに騎馬民族は伝統として末子相続が多い。ヘロドトス「歴史」のスキタイの記述(エキドナの末っ子)やチンギスハンの相続を参照)

「こんな蛮族に矢の当たって死ぬのか」と叫んで息絶えます。

気位は高いのですが、本当にアマテラスの末裔かと思うほどに弱い!!

そこで、タケミカヅチ(寄生獣のような最強の武神)に助けてもらいながら、

大和を裏から急襲するも、またもや失敗。

どうしようもないので、敵方の総大将ニギハヤヒを懐柔し、

ナガスネヒコを暗殺させて辛くも勝ちを奪い取る。

 

イワレヒコの弱小っぷりが光るお話です。

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※こんなにはカッコよくなかった神武東遷 wikipediaより

 

一方、ナガスネヒコはナイスガイですねっ!。戦っては負けなし!!

戦いの最中、休戦協定が持ちかけられるが、

「私の主君はニギハヤヒのみ。二君に仕えない!!」

と休戦協定を突っぱねるのです。

しかし、主君ニギハヤヒに裏切られ殺害される。

悲劇の「侍」ナガスネヒコ(涙)。

 

ところで、漢、ナガスネヒコは何者なのか??

 

反逆者なので、記紀には出自についての記述がない(隠したのか??)。

お手上げです。

数少ない手掛かりがその名前。

このナガスネヒコは、縄文系の民族を意味しているという説がある。

渡来系民族は、北方で進化を遂げた民族なので、胴長短足という身体的特徴をもつ。寒冷地では体温を維持するために手足が短くなるのである(アレンの法則)。

一方、縄文系の民族は、温暖な南方出身なので長い手足が特徴だ。

天孫族に代表される渡来系民族は、長い手足の民族をさげすんだ。

縄文系の民族の多い、東北の民族をエビスと呼んで蔑視した。

手足の長いエビ・カニになぞらえたようだ。

現代の価値観とは真逆なのが面白いですね。

ナガスネヒコは「長い脛の人間」、つまりエビスです。

縄文系の民族だったのかもしれません。

出雲神話テナヅチアシナヅチ(手が長い・足が長い)という夫婦も縄文系か??)

あるいは、逆賊ということで後世に蝦夷・エビスを連想させる名前をつけられたのかもしれない。

いずれにせよ。よー分からんです。

 

さらに厄介なのが裏切者のニギハヤヒだ。

 

古事記によると、ニニギの前に大和に降臨し、

しかもイワレヒコと同様、天孫族だったというのだ。

いかにも、とってつけたような話だ。

 

例えるなら・・・

桃太郎が鬼ヶ島に鬼退治にいったら、桃次郎が既に鬼退治をしていて、

鬼と仲良く暮らしていたということです。

桃太郎の英雄譚に桃次郎はいりません!!

 

それでも桃次郎の話を組み込んだ裏には「大人の事情」がありそうです。

 

「大人の事情」とは??

 

ニギハヤヒは「先代旧事本紀」によれば物部氏の祖、丹後の籠神社に伝わる国宝の家系図、「海部氏系図」「勘注系図」によれば、海部氏の祖となる。

いずれの古書にも天磐船伝承が記されているので、始祖伝承を共有する海部氏と物部氏は同族と考えていい。

つまり、ニギハヤヒは物部・海部氏の共通の始祖。

 

そして、「海部氏系図」の中のニギハヤヒの嫁の系譜には、オオクニヌシ、ムナカタと日本海文化圏の神様がくっついている。海部は日本海の民だから不自然な話ではない。

海部の拠点の丹後は日本海への出入口として戦略的に重要です。

(さらに海部と東海尾張とはつながりが強く、海部は日本海から東海までの勢力であったと思われる。1つの傍証として、丹後の文化・方言と尾張の文化・方言が酷似するそうだ(参考「丹後・東海地方のことばと文化」京丹後市教育委員会)。

 

また、物部氏の編纂した「先代旧事本紀」によれば、

矢田坐久志玉比古神社が、ニニギが天から降り立った場所とされているが、

この神社には網掛祭という祭りがある。

祭りでは、雄の竜と雌の竜に見立てたしめ縄を神域にめぐらせる。

これは、出雲地方の神社の龍神・蛇神信仰にそっくりなのだそうです。

それから、オオモノヌシは、しばしば蛇の姿で記紀に登場します。

出雲と蛇は、密接な関係があるのです。

※出雲の龍蛇信仰は、新谷尚紀「伊勢神宮三種の神器」(講談社メチエ)に詳しい。

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)

 

 

ニギハヤヒ(物部・海部氏)は、

もともとは日本海文化圏の出雲系の部族だった可能性が高い。

※参照:村井康彦氏の「出雲と大和」・千田稔「手向山と邪馬台国アメノヒボコ」・『古代ヤマトと三輪山の神』

 

古代ヤマトと三輪山の神

古代ヤマトと三輪山の神

 
出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

 

これらの話から推論すると・・・

 

ニギハヤヒは、大和に住む出雲系の抵抗勢力だった。

流れ者の天孫族にとって大和支配・さらに日本海・東海地方進出の足掛かりのために、

どうしてもニギハヤヒの協力が必要だった。

そこで、ニギハヤヒ天孫族と同じポジションを与え、対等の関係を築いたように思われる。

 

これが「大人の事情」の真相だ!?

 

とはいっても、この辺の分析はシロートのオイラには手に負えません。

 

物部氏は何者か?」という古代史上屈指の超難問にもかかわるからです。

※この辺の推理は、関裕二「物部氏の正体」(新潮文庫)で。

物部氏の正体 (新潮文庫)

物部氏の正体 (新潮文庫)

 

大和には複数の抵抗勢力があったが、その一部の土着勢力と天孫族対等合併して、大和支配の礎にしたという理解で置いておきます。

 

大和朝廷の誕生】

ナガスネヒコとの戦に勝利したイワレヒコは神武天皇として即位し、

ここに大和政権が誕生する。

 

考古学的には倭の大乱が終結する時期だ。

 

瀬戸内海を中心に倭の大乱が始まる。その中で中規模の勢力が誕生し、九州から東海まで連なる瀬戸内海ネットワークが構築されていく。

同時期の遺跡の纏向遺跡からは、瀬戸内海、東海など各地で生産された遺物が発見されるが、これは他の同時代の遺跡にはみられない特徴。そして、吉備地方からもたらされた土器が抜きん出て多い。

 

つまり・・・

 

大和朝廷は、三輪山山麓の纏向に都をおき、

瀬戸内海・東海ネットワークの盟主になったということです。

(おそらくは天孫族は吉備からの一派であっただろう。)

 

記紀にもそれを裏付ける記述があります。

 

即位した神武天皇が初めに行ったのがイケヨリヒメとの結婚です。

このイケヨリヒメは、三輪山のオオモノヌシを父にもつ。

大和政権は三輪山の出雲勢力をとりこみ三輪山麓を拠点にしたことを意味しています。

 

ちなみにイケヨリヒメは別の名をヒメタタライスケヨリヒメ。

たたら製鉄と関連する名前です。出雲はたたら製鉄のメッカ。

イケヨリヒメは出雲族サラブレッドです。

 

その後も大和政権は三輪山のオオモノヌシとの関係を重視しました。

 

大和朝廷は、天孫族最強のシャーマン・モモソヒメにオオモノヌシを祭らせます。

なんでも、オオモノヌシが機嫌を損ねると人々がバタバタ死んでいく。

オオモノヌシは「祟り神」の親玉みたいな神様ですから。

 

さらにモモソヒメはオオモノヌシと結婚します。

人と神との結婚です。最強のシャーマンだからできた離れ業です。

しかし、その後オオモノヌシとの関係が悪化し、モモソヒメはその責任をとって自殺します。自ら生贄となったと思われます。

記紀には神の怒りを鎮めるために命を差し出す,

いわゆる生贄・人身御供を思わせる記述がちらほらみられます。

 

天孫族はアマテラスの子孫なのに、なぜ国津神のオオモノヌシを祭り上げるのか??

 

これもまた大きな謎です。

 

おそらくは、大和には日本海文化圏のオオモノヌシ信仰が根強くあり、

大和の各部族をまとめ上げる必要性から、

天孫族はもともとは三輪山のオオモノヌシを主神としていたのでしょう。

 

四道将軍の派遣】

 

小勢力として大和に入ってきた天孫族ですが、

オオモノヌシを祭ることで大和の盟主として成長します。

 

そして、四道将軍の派遣により、吉備、丹波、北陸、東海、出雲を平定する。

将軍の1人キビツヒコの吉備地方への遠征は有名で、桃太郎伝説のモデルになりました。

 

この時点でようやく地上界が、神々の契約と同じ姿になりました。

名実ともに国譲りが完成します。

 

四道将軍の話は、大和朝廷が瀬戸内海ネットワークを支配して急速に勢力を拡大していく考古学的事実と符合します。

 

以上が天孫降臨から四道将軍派遣までの粗筋。

 

 

◇二系統の神話体系

 

記紀には、

出雲族の活躍を描いた後に国譲りの話がでてきたり、

アマテラスの子孫がオオモノヌシを祭ったりと、

木に竹を接ぐような部分が見られます。

異質なものを無理やりつなげている印象です。

 

不自然な記述になった理由ですが、

 

大和には日本海文化圏のオオモノヌシ信仰が根強くあり、当初は天孫族もそれをいただいていたが、王権の伸長に伴い自らの正当性を主張する必要から、アマテラスを主神に入れ替え、後からスサノオの追放や国譲りの話を追加したように思われる。

 

記紀というのは、

出雲族系の神話体系」を「天孫族系の神話体系」で

上書き保存したといっていいのではないでしょうか。

 

歴史的には、

日本海ネットワーク」から「瀬戸内海ネットワーク」への

勢力の移行を意味しているようです。

 

4回にわたって、出雲族一般についてみてきました。

 

次回からは、本題の「京都と出雲族」の関係について書いてみたいと思います。