京都痕跡街歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎⑥

◆女王の帰還

 

インダス文明では地母神が崇拝の対象であったが、

 

ヴェーダ時代になると地母神は表舞台から消える。

 

しかし、

 

バラモン教がインダス由来の土着信仰を取り入れ

 

ヒンドゥー教に変化すると、

 

古層の地母神信仰(女性原理)が再び息を吹き返すのである。

 

◆シャクテイ信仰

 

この地母神信仰の中心となるのがシャクティである。

 

シャクテイとは

 

「生命を生み出す大地」のアナロジーから生まれた概念で

 

地母神のもつ強力な生殖力・性力を意味する。

 

シャクティ

 

「男性原理を活性化あるいは生み出す」原理

 

と考えられた。

 

インドの神々も

 

シャクテイ信仰の影響を受け、

 

ヴェーダ時代の男神あるいはシヴァ・ヴィシュヌに

 

インド古来の地母神があてがわれ、

 

男女一対神の形態をとるようになり、

 

偶像にもその影響が見られるようになる。

 

たとえば、「ヴィシュヴァルーパ・ヴィシュヌ」像などである。

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※ネパール・チャング・ナラヤン寺 宮地「仏像学入門」より

 

直立不動の宇宙を体現するヴィシュヌを地母神プリティヴィが支え、

 

ヴィシュヌの支配者としての保証を与えているのである。

 

この影響はヒンドゥー教の神々を取り入れていた仏教にも及ぶ。

 

仏教の説話に「降魔成道」という説話がある。

 

 

ブッダが修行中に悪魔が現れ、

 

悪魔は、修行中のブッダを邪魔するために

 

「お前は悟りをひらいたというが、それを一体だれが証明するのか」

 

と尋ねた。

 

ブッタは、そっと大地に手を触れ(触地印を結び)、

 

地天女を召喚した。

※地天女=ヒンドゥー教がのプリティヴィに相当

 

それを見た悪魔は納得し、姿を消す

 

 

この説話は仏像のモチーフとなり、

 

「降魔釈迦像」

 

として現される。

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※降魔成道 宮地「仏像学入門」より

 

ブッダは地天女により精神世界の支配者としての保証を与えられるのである。

 

ここには、

 

メソポタミア地母神と同じく

 

「王権・支配権を付与するあるいは裏書する」

 

地母神(女性原理)の機能を見て取ることができる。

  

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※東寺の国宝・兜跋毘沙門天毘沙門天を地天女が支えるが、これも「降魔成道像」と同じく、力や正当性を女神が裏書きしていることを意味している。直立姿勢は「ヴィシュヴァルーパ・ヴィシュヌ」と同じく宇宙軸を示す。なお、兜跋毘沙門天がオリエント風のマントを着ているのは、この像がイラン系部族の国で作られ始めたからである。

http://dsr.nii.ac.jp/narratives/discovery/07/

仏像学入門 〈増補版〉: ほとけたちのルーツを探る

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  ◆オリエントの地母神信仰

 

ヒンドゥー時代に復活した

 

インド古来の女性原理には、

 

男性原理を完成させる、

 

あるいは

 

王権・支配力を付与する機能があり

 

メソポタミアにおける女性原理と同じである。

 

ここで「桃太郎の母」の記載を引用しよう。

 

「(シャクテイ信仰)は、大母神による性的二元論の統一というべき信仰であって、永遠に生殖する女性エネルギーたるシャクティ(性力)を擬人化した大母神が永遠の男性原理たるプルジャと和合して、神々を含む全宇宙を生み出すという思想を基礎に持つ。この母神はその最高の形態において、シヴァの妻と同一視されるが、彼女はまたシヴァをも生み出した母神であり、彼の上位に位置する。」

 

「この思想の根底に横たわるものは、決してアーリア的ではない。先アーリア期のインド基層文化に属する原始母神信仰がヴェーダやウッパニシャッドの男性優位の教義に反逆して、…顕現したものであり、その基調を為す原始母神の観念が≪インドそれ自体と同じ古さを持つことはすでに学者の指摘したところである。」

 

「しかも、このような原始母神の信仰はひとりインドにとどまらず、…西南アジアから東地中海にわたる古代オリエントの文化圏に広く見受けられるものである。原始地母神自らの生み出した男性神を配偶者として従属せしめるというシャークティズムに含まれる根本思想もまた、小アジアから東地中海沿岸一帯をめぐる古代の信仰のうちに見いだされる。

 

新訂版 桃太郎の母 (講談社学術文庫)

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 このようにインドのシャクテイ信仰もまた

 

古代オリエント地母神信仰のひとつの表れなのである。

 

次回は、シャクテイ信仰の発展形態のタントリズムについてみてみよう。

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎⑤

BC1500年頃にインド亜大陸に侵入したアーリア人

 

インダス川の流域とガンジス川の流域をたどりながら

 

約1000年かけて

 

インド亜大陸を横断してインドの東海岸に到達する。

 

その中で

 

遊牧民族であったアーリア人

 

農業を覚える者や

 

ベナレスのような大都で

 

都市生活を始める者も出てきた。

 

生活の余裕は彼らに思索の時間を与え、

 

死後の世界、霊魂について考えるようになってきた。

 

ヴェーダに代わる新宗教の胎動である。

 

仏教ヒンドゥー教の攻防史

 

どんなに優れた教義をもった宗教でも、

 

お金がなければ存在できない。

  

宗教史を見る際には、

 

ビジネス的な視点に立つと見通しがきく。

 

つまり、

 

・市場の質と量を分析し、

 

・どの需要者層にマーケティングすることが

 

・利益の最大化につながるか

 

という視点である。

 

宗教の場合には、

 

大きな資産をもつが少数の需要者のために教義を提供し、お布施をえるのか

 

あるいは

 

小さな資産しかもたないが多数の需要者のために供犠を提供し、お布施をえるのか

 

というビジネス戦略である。

 

こういった視点にたち、

 

ヒンドゥ教と仏教の攻防の歴史を見てみよう。

 

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 立川武蔵「弥勒のきた道」より。分かりやすい♪

 

仏教の誕生と発展

 

BC500年以降

 

王侯貴族勢力が次第に大きくなりはじめ、

 

バラモン中心のバラモン教に反感をもつ王侯貴族も増え始める。

 

その受け皿となったのが、新宗教仏教である。

 

仏教

 

資力を有する王侯貴族をパトロンとして

 

勢力を拡大に成功するのである。

 

さらに

 

海洋交易で資財を蓄えた商人パトロンに取り込む。

 

つまり、

 

お布施の大きいほど御利益があるというロジックを駆使して

 

大きな資力を持つ少数の貴族・商人

 

メインターゲットにしたのである。

 

※出家者の生活を守ることが在家信者の務めとされ、布施の功徳の大きさが強調された。わが国の「旦那」や「檀家」は、インドのダーナ(布施)に由来し、英語の「ドナー」と同じ語源である。

 

バラモン教の反転攻勢

 

仏教の拡大に伴い勢力を縮小していた

 

バラモン教は一計を案じる。

 

資力は少ないが数の多い農民層を取り込めば、

 

仏教に対抗できるのではないかと・・・

 

そこで、

 

バラモン教の教義は維持しつつも

 

インダス文明の頃から農民が信仰している土着宗教を取り入れた

 

ヒンドゥ教という新たな宗教を誕生させるのである。

 

誇り高いバラモンにとっては苦渋の選択であっただろう。

 

この戦略は成功し、ヒンドゥ教は大きな勢力となる。

 

仏教が手を付けていなかった農民という巨大市場を独占したのである。

 

仏教側の応戦

 

この状況に仏教側も手をこまねいていたわけではない。

 

初期仏教とは根本的に異なる

 

大乗仏教を興し、

 

農民層の取り込みをはかるのである。

 

大乗仏教は、

 

ヒンドゥ教の教義の他に

 

海洋交易やイラン系部族の侵入によってもたらされた

 

西方由来の教義をも取り入れ、

 

一般人にも受け入れられやすい

 

救済型宗教に舵をきるのである。

 

仏教の敗北

 

ヒンドゥ教が勢力を拡大を続けていたが、

 

それでも仏教勢力は維持されていた。

 

それは仏教の最大のパトロンのインド商人が大儲けしていたからである。

 

2・3世紀、西にローマ帝国という巨大な経済圏が登場し、

 

ローマとの海洋交易でインド商人が巨万の富を得ていた。

 

インドからローマへは

 

胡椒、宝石、象牙、綿布、愛玩動物ラピスラズリが輸出された。

 

ローマ帝国内ではインド産の物資が原価の10倍で取引され、

 

貿易収支はローマが赤字で、

 

赤字を補てんするために

 

大量のローマンコイン(金貨等)が

 

ローマからインドへ流出した。

 

※沖縄からもインドとローマの海上交易が活発だった頃のローマンコインが発掘されたという。インド商人の手を経てはるばる沖縄にたどり着いたものかもしれない。

沖縄の遺跡から古代ローマの硬貨 :日本経済新聞

 

 

しかし、

 

6世紀に西ローマ帝国が滅ぶと、

 

インド商人も没落し、

 

それとともに仏教の衰退が決定的になる。

 

逆に

 

商人の没落により、相対的に農民の地位があがり、

 

ヒンドゥ教の勢力拡大は決定的になる。

 

また、

 

仏教が延命のために

 

ヒンドゥ教の教義を積極的に取り込んだことも致命的だった。

 

仏教もヒンドゥ教の一部であるとのイメージが広まり

(ブッダはヴィシュヌの一形態など)、

 

仏教はヒンドゥ教に飲み込まれてしまうのである。

 

単純な模倣戦略や

 

資産家をメインターゲットとした戦略など

 

仏教が犯した失敗から学ぶことは多い。

 

次回は、仏教とヒンドゥ教の隆盛の中で

 

女性原理はどのように変化したのかを見てみたい。

 

弥勒の来た道 (NHKブックス)

弥勒の来た道 (NHKブックス)

 

 

 

世界の歴史(3)古代インドの文明と社会
 

 

 【追記】

大乗仏教と西方の宗教

 

初期仏教大乗仏教は根本的に異なる。初期仏教が修行により解脱する宗教であるのに対して大乗仏教は大いなる力に救済を求める宗教である。このような根本的に異なる教義がゼロから生まれたとは考えにくく、他の宗教からの影響があるのではないかとの推測がなされる。西方の宗教由来が疑われるのは下記のとおり。

 

●弥勒信仰とミトラ教との関連性

 

観音菩薩とオリエントのイナンナとアナーヒターとの関連性

 

ゾロアスター教の光明信仰と阿弥陀仏との関連性

南無阿弥陀仏は、「南無」が「name」に通じ神の名前を呼び帰依することを、

阿弥陀」が「un(否)/meter(計る)」に通じ、測ることができないほどの無限の光

を意味し、アフラマズダを賞揚する光明信仰に通ずるとの見解

 

キリスト教との関連性

大乗仏教キリスト教が相互に影響を与えたのではないかとの見解

大乗仏教が興った時期とトマス派キリスト教がインドで勢力を拡大した時期が一致

キリスト教の救済思想と法華経の「一乗妙法」「菩薩行道」が思想的に一致すること

・トマスの福音書と仏典の文言の共通性(「変成男子」や「光と命」) 

〔論文〕「大乗仏教の誕生とキリスト教」参照

http://jairo.nii.ac.jp/0025/00009856

 

有力な反対説があったり、不明確な点が多い分野であるが、

 

ロマンのある話だ。

 

 

※聖トマス:12使徒の1人。イエスの死を傷口に手を差し込んで確認するまで信じなかったことから「疑い深いトマス」として知られる。トマスはインドまで布教に赴きインドで死んだとされる。トマス派キリスト教は現在もインドで信仰されている。トマスの福音書グノーシス主義外典として知られる。トマスが死んだ港町は「サン・トマ(聖トマスの意)」と呼ばれ、そこから輸出された縞織物は江戸時代の日本にももたらされ「桟留(サントメ)縞」とよばれた。

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桟留縞

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎④

 

バラモン教では、女性原理と男性原理はどのような関係であったか

 

ヴェーダの神々

  

バラモン教ヴェーダの神々で有名なのが、

 

ディーヴァ・インドラ・ミトラヴァルナ・アシュラ・アグニである。

 

これらは共住時代からアーリア人が信仰していた古の神々で、

 

いずれも男神である。

 

※共住時代の最高神は太陽神のアシュラだったようだ。イラン系アーリア人は、アシュラをゾロアスター教の主神アフラ・マズダとして信仰する(アシュラ=アフラ)。一方、インド系アーリア人は対抗意識からアシュラを魔人に貶め、インドラを主神に据える。インド系アーリア人はプライドが高いのである。わが国には阿修羅としてやってくる。ディーヴァは天の神だが(言語的にはゼウスに通ずる)、身近な神ではないため「閑ろな神」として人々から忘れる傾向にある。ミトラ・ヴァルナは契約・博愛・執行の神。ヒッタイトとミタンニとの国際条約でも「ミトラ・ヴァルナの名のもとに」条約が結ばれた。ヒッタイト・ミタンニの両国で共通の崇拝されていたのだろう。アグニは火の神。リグヴェーダにおいてアグニに対する賛歌が多いことからインド系アーリア人は重視したようだ。遊牧民にとって火の存在は大きかった。荒野でのキャンプファイヤー遊牧民の心を温めたのだろう。また、空に向って燃え上がる炎には天に生贄を運ぶ機能があるので、供犠を重んずるアーリア人にとってはその意味でも重要だった。「護摩」炊きはホーマ(供犠)に由来するが、もともとは遊牧民の火への信仰なのだ。

 

アーリア人は、

 

男性原理優位の宗教意識を持っていたである。

 

遊牧民族にとって

 

どこへ移動しても頭上にある「天=男性原理」が重要だったのであり、

 

逆に

 

大地との関係は希薄で、

 

「生み出す大地」の象徴である女性原理も重視されなかったのだろう。

 

もちろんヴェーダの中にも女神がいる。

 

水の女サラスヴァティも共住時代からの古い神であるが、

 

ヴェーダでは女神は限られている

 

アーリア人の故郷はステップ地帯に属し乾燥しており、

 

水・河が崇拝の対象になったが、

 

水は女性原理と不可分であるから、

 

女神が例外的に信仰の対象となったのだろう。

 

※サラスヴァティは、仏教に取り入れられ弁財天となる。イラン系アーリア人の間ではアナヒターとして信仰される。一説によるとアナヒターはメソポタミアのイシュタル・イナンナと習合しナナイアあるいはアルドフショーとなり、イラン系部族がインドに持ち込み、観音の原型になったという(岩本裕「観音の表情」)

 

 

 ヴェーダの王の即位儀式

 

ヴェーダでは、通過儀礼・王権授与はどのようになされたのだろうか。

 

ヴェーダには以下のように通過儀礼・即位儀式についての詳しい記載がある。

 

世界宗教史〈2〉石器時代からエレウシスの密儀まで(下) (ちくま学芸文庫)

世界宗教史〈2〉石器時代からエレウシスの密儀まで(下) (ちくま学芸文庫)

 

 

 

王権 (岩波文庫)

王権 (岩波文庫)

 

 

 

【ディークシャー】

 

・ディークシャーは、高次の存在様式に昇華する儀式である。

・儀式を受ける者(供犠執行者)は、神への生贄である。

=世界樹に吊るされ知恵を得たオーディーンを想起

・儀式を受けることは、一度死に二度生まれることである。

・祭司が供犠執行者に水をかける。

=水は「精液」を意味する

・供犠執行者は、特別な納屋に入れられる。

=納屋は「子宮」を意味する

・供犠執行者は白い衣服を着さされる。

=「白い衣服」は羊膜を意味する。

・供犠執行者は納屋から出て、四方に広がる空間の上に立つ

=再生と宇宙の支配を意味する。

  

【ラージャスーヤ】即位儀式

 

王の即位の儀式に先立って、ディークシャーが1年行われる。

1年間のディークシャの中には断食・苦行が含まれる。

=王権には苦行(タパス)が必要と考えられたようだ。修行中のシヴァをパールヴァティが誘惑した際、第三の眼でカーマを焼き尽くす「シヴァとパールヴァティ」の物語(マハーバーラタ)にも通ずる。

中心となる儀式は新年に行われる。

=世界の再生・春の訪れを願う豊穣の祭りの側面もある

儀式からは女性が排除される。

=ただし、ヴェーダ時代より後には王妃も参加する事実がある

供犠執行者は宇宙・世界を体現している。

供犠執行者は白い衣服を着る。

司祭が灌頂儀式(頭に水を灌ぐ)と塗油儀式(精製されたバターを流しかける)

=これにより神聖が付与される(聖別)。儀式のクライマックス。

供犠執行者は四方に歩を進め、王座に立ち両腕をあげる。

=四方への歩みは、地上界の支配、王座へ上ることは時間の支配を意味する。x軸・Y軸が空間をz軸が時間を意味するのだろう。供犠執行者は宇宙軸(アクシス・ムンディ)を体現する。王は空間と時間を支配するのである。

 

 

即位儀式にはランクがあり、

 

最高度の儀式になると(お金が掛かる…)

 

アシュヴァメーダという儀式が伴った。

 

 

【アシュヴァメーダ】馬祀祭

 

・新年に行われる儀式

=世界の再生・春の訪れを願う豊穣の祭りの側面もある。

・馬は植物を活性化させる機能がある

=馬は生命力、季節の循環、世界、宇宙を象徴している

・特別に用意された駿馬を一年間放つ

・その馬の行く先が領土となる

=馬は領土を支配する「王の力」「王権」を意味する。

・一年後に馬を連れ帰る

・供犠として多数の獣とともに殺される

・主妃が死んだ馬と添い寝し、性交のまねごとをする。

・そのわきで祭祀と他の王妃は卑猥な冗談を投げかけ合う

・主妃が立ち上がると、馬は解体し、肉は分配される。

※馬の代わりに人が犠牲になる「プルシャメーダ」という儀式もあった。

 

 

メソポタミアとインドの王権授与儀式とを比較すると

 

ディークシャー・ラージャスーヤに関しては

 

・王が一度死に、再生すること(死と再生)、

 

・年初めに儀式が行われ、豊穣の儀式の側面があること

 

・塗油行為を伴うこと、

 

・世界の中心で即位儀式を行うこと

(メソポタミア:ジッグラト・インド:王座)

 

などに共通性が見られる。

 

「豊穣・世界の再生=王の死と再生」

 

という基本構造は共通する。

 

しかし、

 

メソポタミアのように性行為(聖婚)を伴わず、

 

儀式のクライマックスである聖別儀式

 

女性原理は登場しない。

 

また、

 

メソポタミアにおいては、王は地母神の愛人・息子であり、

 

王は地母神に対する生贄になるのに対し、

 

リグ・ヴェーダにおいては、

 

「汝の身体を増大させつつ、汝自らを犠牲にせよ」とあるように、

 

あくまで

 

「自らの自らへの犠牲」(オーディーン箴言)なのである。

 

 

女性原理(地母神)は儀式の中心にないのである。

 

 

アシュヴァメーダに関しては

 

 

・年初の豊穣祭・王の死と再生

 

・聖婚と王権授与

 

・動物供犠

 

・人間の女性と動物遺体との疑似性交など、

 

メソポタミアの聖婚儀式とアシュヴァメーダとの間に共通点もみられる。

 

しかし、

 

女性原理は、

 

王権を王に伝える媒介に過ぎないのであり、

(馬=王権→疑似性交→〔王妃〕→結婚→王)

 

メソポタミアのような

 

王権を授与する女性原理(地母神)」

 

との観念は見受けられない。

 

 

これらの儀式は、

 

おそらくメソポタミアの影響を受けつつ

 

アーリア人独自の

 

男性原理中心思想」や「馬信仰」のもとで発展したのだろう。

 

※宗教学の泰斗エリアーデは「シュヴァメーダは明らかにインド・ヨーロッパ諸民族起源である。」と言い切ってるが…

 

ヴェーダ時代、

 

社会・宗教においては、

 

男性原理が中心であった。

 

 

【追記】

◆獣と女神のモチーフについて

 

アシュヴァメーダには、

 

「王妃が馬の死骸と性交のまねごとをする」

というエキセントリックな儀式が含まれているが、

女神・王妃と馬・牛との性交をモチーフとする神話・儀式が、

その特殊な内容にもかかわらず、

北欧、地中海、メソポタミア、インド、中国、日本と広い地域にみられる。

 

具体的に言えば、

 

アイルランドの即位儀式

 (王は雌馬の死骸と性交の儀式を行う)

ギリシャ神話のデメテールの話

 (馬に化けた王妃を馬に化けたポセイドンが犯す話)

ギリシャ神話のミノタウロス神話

 (牛に化けたゼウスが女神を犯し、ミノタウロスが生まれる話)

ギルガメシュ叙事詩の天牛殺の話

・日本神話のスサノオの悪事の話

(馬の死体を女神に投げつけた結果、機織りの器具でホトをついて女神が死ぬ話)

・中国の馬頭娘

・日本の東北地方の巫女に伝承される「オシイラ祭文」(遠野物語)

 

などである。

 

おそらくは、

インド・ヨーロッパ語族の中で組み立てられた神話体系が

 騎馬民族の間で共有され、

中国・日本にはユーラシアを東進したスキタイ系騎馬民族が運んできたのだろう。

 

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※林俊雄「スキタイと匈奴・遊牧の文明」より

 

詳しくは下記の文献参照。

 

マハーバーラタの神話学

マハーバーラタの神話学

 

 ※「馬に汚される大女神」参照

 

観音変容譚―仏教神話学〈2〉 (仏教神話学 (2))

観音変容譚―仏教神話学〈2〉 (仏教神話学 (2))

 

 

 ※ユーラシア大陸の諸神話における「馬と女性性」参照

 

インド・ヨーロッパ古代の異類婚姻譚について

https://kdu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=841&item_no=1&page_id=13&block_id=21

 

馬頭観音・馬頭明王とアシュヴァメーダ

 

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日本で目にする馬頭観音の頭上には馬の頭が乗っかっている。

これは、草を食らいつくす馬のように

煩悩を喰らいつくすことを意味するといわれる。

大日経疏」では「転輪王の宝馬が休むことなく四州を巡履するごとく」衆生のために奔走する明王と説明される。

「四州を巡履する転輪王の宝馬」のイメージは、アシュヴァメーダの「国土を一年間巡り諸王を打ち負かし領土とする馬」に由来するのだろう。

(弥永『火を噴く馬頭観音』「観音変容譚」参照)

 

 

◆深曽木の儀

男の子が5歳になると行う儀式に

「深曽木の儀」というものがある。

男の子が囲碁盤の上に上り再び飛び降りるというものだ。

これは、囲碁盤を世界に見立て、

四角形の囲碁盤に立つことは「四方(世界)を制す」意味があるという。

※ソースは忘れた…

 

もともとは王の即位儀式であったのだろうか。

 インドのラージャスーヤを思わせる。

 

大嘗祭の天羽衣

 

大嘗祭は、天皇が行う豊穣の祭りである。

大嘗祭では、天皇は天羽衣という白い衣を着て

湯あみをするという。

羽衣が羊膜、水が羊水を意味し、

儀式は死と再生の疑似行為という(西郷信綱説)。

日本書紀の「真床覆衾」に相当。

これもまたインドのディークシャーに似ている。

起源については今後の宿題…

 

天皇の即位儀礼と神仏

天皇の即位儀礼と神仏

 

 

 

大嘗祭の本義

大嘗祭の本義

 

 

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎③

では、今度は古代インドにおける女性原理と男性原理を時代別にみてみよう。

 

インダス文明

 

インダス文明の文字の解読が出来ていないため詳しい内容が分からないが、

 

男根崇拝地母神信仰牡牛信仰があったようだ。

 

印章の中には、多くの獣に囲まれ、行者らしき男が

 

男根を屹立させヨガのポースをとるものがあり、

 

今日のヒンドゥー教で男根の形で崇拝され、獣の主、苦行者として崇拝される

 

シヴァ神のプロトタイプと考えられている。

 

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また、地母神をかたどるテラコッタ

 

後の七母神に繋がると思しき七人の女神像も発見されている。 

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 ※モヘンジョダロ出土

 

古いインドの土着宗教を引き継ぐと考えられる南インドの村においては、

 

大体が女神を崇拝していることから(斎藤昭俊「インドの民族宗教」)、

 

インドの民俗宗教

インドの民俗宗教

 

 

インダス文明においても、

 

地母神(女性原理)が大きな役割を果たしていたと考えられる。

 

また、バーレーンディルムンからはインダスの印章が見つかっていることから、

 

メソポタミア文明インダス文明との間に海洋交易が存在していたことが知られる。

 

インダス文明はオリエントの影響を受けつつも

 

独自発展を遂げたのだろう。

 

ディルムンメソポタミアとインドの海洋交易の要衝として栄えた。一説によればギルガメシュ叙事詩エデンの園に比定される。

 

インド・アート―神話と象徴 (アジア文化叢書)

インド・アート―神話と象徴 (アジア文化叢書)

 

 ※zimmerはシュメールの神とヴェーダヒンドゥー教の神の類似性を指摘している。

 

アーリア人流入

 

BC1500年頃

 

東欧あるいはカスピ海周辺に住んでいた遊牧民族

 

インドヨーロッパ語族(アーリア人)

 

食料問題に直面し移動を開始する。

 

西に向かう一派は、

 

ヨーロッパ人の起源となり、

 

東に向かう一派は、

 

イランに入ったイラン系アーリア人

 

インド亜大陸に入ったインド系アーリア人に分かれる。

 

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 ※山崎元一「古代インドの文明と社会」より

 

ヨーロッパ・北欧・イラン・インドの言語、神話

(インド神話ギリシャ神話・北欧神話等)

 

類似性が見られるのは、

 

移動前に共有していた言語・神話を移動後も維持したためである。

 

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※言語的類似性(山崎元一「古代インドの文明と社会」より)

 

さて、インド系アーリア人の動きを追ってみよう

 

アーリア人の宗教のバラモン教聖典

 

リグ・ヴェーダでは、

 

ダーサ(農耕土着民)が立てこもる強固な「プル」(城壁)を

 

最高神インドラ(ギリシャ神話のゼウスに当たる)が

 

チャリオット(戦闘用馬車)に乗りながら

 

チャリオット:映画グラディエーターにも登場する古代戦車。歩兵などは蹴散らされそうだ。

 

ヴァジュラ(雷撃)で打ち砕き、ダーサを支配下に置いた。

 

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※左:ゼウス・中:帝釈天・右:ヴァジュラ(金剛杵) インドラは仏教に取り入れられ帝釈天になる。アーリア人は共住時代から雷神を祭っていた。インドラとゼウスの起源である。ゼウスもインドラ(帝釈天)も雷撃を表すヴァジュラを手にもつ。ムスカ大佐「これから王国の復活を祝って、諸君にラピュタの力を見せてやろうと思ってね…。見せてあげよう、ラピュタの雷を!!旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ!ラーマヤーナではインドラの矢(ヴァジュラのこと)とも伝えているがねッ」

 

とされる。

 

アーリア人は、

 

チャリオットの圧倒的な軍事力で

 

インドの都市を次々に支配下に置いて行ったようだ。

 

リグ・ヴェーダなどの文献からは他に、

 

アーリア人が「白い肌」と「ほりの深い顔」をしていたこと

 

馬と供犠を重んじ、男根信仰・地母神信仰をしていなかったこと

※馬はアーリア人の戦力の源泉であるから信仰の対象となる。

 

・自己の文化に非常に誇りを持ち、インド土着の文化を蔑んだこと

 

・呪文・賛歌を宗教儀礼とする、ある種の「言霊」思想を持っていた。

※呪文・賛歌の内容を間違って発生すると霊力が損なわれるということで、一言一句間違えないように細心の注意をもって暗唱したという。リグヴェーダだけでも源氏物語と同じ分量である。後に密教マントラに繋がっていく。古ゲルマンの呪文も同じ思想なのだろうか??

 

・家族は家父長を中心に三世代で構成され、家族が集まってヴィシュ(氏族)、氏族が集まってジャナ(部族)を構成していたこと。

つまり、ピラミッド構造の男性社会

 

・戦車競技・さいころ賭博が大好き

 

・スーラ酒が好き。ソーマ酒という幻覚作用のある酒が大好き

※一説には、ソーマ酒はベニテングダケの一種から作られたとされる。

 

・先住民の女性を奴隷・妾としていたこと

※混血児は家族の構成員・準構成員となった。そのため混血が進んだ。混血児は母親の言葉に影響をうけ、結果、家族全体の言語さらには氏族・部族の言語にも影響を与える。リグ・ヴェーダにもすでに土着言語特有の反舌音の単語が含まれている。

 

・土着民は色が黒く供犠は行わず、男根信仰・地母神信仰を行っていたこと。

 

・土着民の中にはアーリア人から見て非常に裕福な者(パニ)がいたこと

※オリエント等の海洋交易を通じて富を蓄えた商人なのだろう。

 

などが分かっている。

 

今でいえば、

 

アーリア人

 

「パチンコ、競輪が大好きな酒飲みで

時には覚せい剤も打つ女好きの好戦的なレイシスト

 

ということになる!?

 

あまり友達になりたくないですね…

 

次回は、ヴェーダからアーリア人の宗教意識を読み取ってみよう。

 

【追記】インドヨーロッパ語族の故郷

 

インドヨーロッパ語族の故郷については諸説ある。比較言語学からはインドヨーロッパ語族に共通する単語を分析することにより、共住時代の居住環境を再現し、インドヨーロッパ語族の故郷を推測するアプローチがとられている。

それによれば、「ブナの木が生え、牛の馬が飼育され、川にはサケやマスが泳ぎ、森には狼や熊が棲息する…」という結論がえられた。

そこから、カスピ海、東欧、北欧等に候補地が絞られるのだという。

 

世界の歴史(3)古代インドの文明と社会
 

 

印欧語の故郷を探る (岩波新書)

 

 

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎②

 

古代宗教における女性原理男性原理との関係はどのようなものだったのか??

 

世界最古の物語、ギルガメシュ叙事詩を素材にみてみよう。

 

ギルガメシュ叙事詩

 

ギルガメシュ叙事詩の概要は以下のようなもの。

 

 

・昔々、メソポタミアに半神半人のギルガメシュという暴君がいた。

・神々は、ギルガメシュを懲らしめるためにライバルのエンキドゥを創造する。

・野山を駆ける野人エンキドゥは、神殿娼婦に導かれギルガメシュ王の統治するウルクにやってくる。

・エンキドゥとギルガメシュは争うが、互いに認め合い親友になる。

・エンキドゥとギルガメシュは、森の悪魔フンババ退治にでかけ、フンババに勝利する。

・大地の女神・イシュタルは、ギルガメシュの雄姿にほれ込み、

求婚するも、ギルガメシュに罵詈雑言を浴びせかけられたうえに振られる。

・メンツをつぶされたイシュタルは激怒し、天の牛を地上に遣わし災いをもたらす。

・そこで、エンキドゥとギルガメシュが協力して天の牛を殺害。

・天の牛を殺したことで、エンキドゥは神々から呪いをかけられ死亡

・親友の死にギルガメシュは、自分もいずれ死ぬ運命を憂い、永遠の命をもとめて旅をする。

・大洪水を生き延びた男から永遠の命をもたらす植物を手に入れるが、旅の途中でに奪われてしまう。

 ※死への向き合い方などは東洋思想に親近性がある。世界最古の文学とは思えないほどよく練られた物語

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

 

 

www.youtube.com

 

この物語の中で注目すべき点は、

 

・野山を駆け巡っていた野人のエンキドゥが、

神殿娼婦と交わることで、知恵を得て野人から文明人に変化したこと

 

ギルガメシュは、大地母神のイシュタルとの聖婚を拒絶することにより、を受け入れなければならなくなったこと。逆をいえば、イシュタルを受け入れれば不死を手に入れ人間以上の存在に成りえたこと。

※イシュタルとドゥムジーの神話では、人間であった牧人ドゥムジーは、イシュタルの愛を受けることで、神性が与えられた。

 

である。

 

ギルガメシュ叙事詩(ちくま学芸文庫)の解説では

 

 エンキドゥは、この遊び女(神殿娼婦)によって野生の荒々しさを捨て去り獣の状態から人間にかわり、女といっしょにおとなしくウルクに向ったのであるが、この根底には単なる風俗以上の原初の観念が潜んでいるように思われる

 

とある。

 

敷衍すると

 

女性原理と交わることで、

男性原理がアップグレードされる

 

という思想があったということだろう。

 

旧約聖書では「イブにそそのかされたアダムが木の実を食べ知恵を得た」という話があるが、エンキドゥと神殿娼婦の話はその源流にあたる。ギルガメシュ叙事詩では、女性が直接的に男性に知恵を与えたという構造になっており、女性原理が肯定的にとらえられていた。

 

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 ※ジグラト:神殿の頂上には寝台があり、そこで神婚の儀が行われた。(wikipediaより)

 

物語だけでなく、

 

実際のシュメールの王も、

神殿(ジッグラト)の頂上にある寝台で、

塗油行為を伴った神殿娼婦との聖婚により、

その王の地位(王権)を確かなものにした

 

とされる。

 

 ギルガメシュ叙事詩には「香油でお前を聖別した女(神殿娼婦)は、今お前のことを嘆いている」と書かれているが、神殿娼婦との交合においては塗油行為が伴っていいたようである。救世主のことをメシア(油を塗られし者)とよぶが、これもシュメールに起源がある。オリエントなどの乾燥地帯ではメンテナンスのために道具や肌に油を塗る行為が一般的に行われていた。そのため「塗油=質を向上させる=完成させる」というイメージの連関があるのだろう。ちなみに、シュメール文明では、契約成立の際に当事者の頭に油を注ぎ合ったそうだが、これも「塗油=完成・成立」というイメージに基づくものだろう。

図説世界女神大全

図説世界女神大全

 

 ◆神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

王位:…男系長子相続の法は存在しておらず、王が自分の息子によって相続されることは稀だった。シュメールやアッシリアの王の場合、王が誰なのかわからなかった。エサックルナ王は「無名の者の息子」と呼ばれた。…王位に就くためには、この地上の女神を体現している女王と結婚しなければならなかったのであり、これが聖婚の本来の意味だった。」

神話・伝承事典―失われた女神たちの復権

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◆生贄にされる王

 

さらに古代メソポタミアでは、

 

男性原理が女性原理のために一度殺され、

女性原理と交わることで再生する

 

という思想もあったようだ。

 

それを示すのが

 

神話の中の大地母神イシュタルと夫・ドゥムジーとの関係である。

 

イシュタルの冥界下りの概要は以下の通り。

 

 ドゥムジーが冥界へ行くと、生物が生殖活動をやめてしまった。

女たちは地上に座り、髪を振り乱して涙を泣かしてドゥムジーの復活を願った。

そこで、イシュタルはドゥムジーを取り戻すべく冥界に下り、

ドゥムジーを連れ帰った。

そうすると地上で生命活動が再びはじまった。

 

旧約聖書エゼキエル書にもよく似た記載があり、イシュタルの冥界下りの話はオリエント世界で普及していたと考えられる。また、東方へも伝播し七夕伝説の起源ともなった。イシュタルは冥界へ行く際に七つの門をくぐりそのたびに衣服を脱がされるという記載がある。冥界と七という数字の関連性は、仏教の「四十九日法会」「初七日法会」にも影響を与えているし、古事記イザナギは、冥界のイザナミに会いに行く際に、七つの衣服を脱ぐのであるが、これなどはイシュタルの冥界下りの影響を受けていることに疑いないところである(「ギルガメシュ叙事詩」(ちくま学術文庫・解説)「死と再生」(井本英一)参照)。

 

一年の季節のサイクルを、

 

・冬になり男性原理(生命活動)が弱まると、

・男性原理は一度殺され、

・女性原理が冥界に下り、

・男性原理と交わることで

・男性原理を再生させる

 

と解釈したのだろう。

 

シュメールの王は、神話の世界観をそのまま儀式として再現したそうだ。

 

つまり、

 

新年に

王がドゥムジーに扮して、

神殿娼婦がイシュタルに扮し、

神殿の頂上で性行為に及んだ

 

とのことだ。

 

また、

 

シュメールの王朝の後のバビロンの新年祭では、

 

王は祭司に殴られた

 

バビロンの聖典では

「もし王が打たれた時に涙を流さなければ、悪い年の兆候である」

と記されている。

 

さらに、

 

バビロンのサカイアの祭りでは、

 

死刑囚は、祭りの5日間だけ王位を譲られ、

王衣を着て王妃と床を供にすることができたが、

後に串刺しによって殺害されたそうだ。

 

これらの儀式は、男性原理が一度殺されることを祭りで再現したものだ。

 

図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)

図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)

 
 

シュメールでは

 

男性原理の殺害は、殺牛によって仮託されたのだろう。

 

ギルガメシュ叙事詩では、

 

 

エンキドゥは、天牛を殺害し、

 

天牛の「もも」(生殖器の婉曲表現として用いられる)を切り裂き、

 

イシュタルに投げつけた。

 

イシュタルが呼び寄せた神殿娼婦たちは、

 

天牛のももの上で悲嘆にくれた。

 

天牛の角は、ラピスラズリと油でできており、

 

地上に財宝をもたらすことになる。

  

 

と書かれている。

 

・イシュタルの夫・ドゥムジーは

天界の雄牛」「野生の雄牛」と繰り返し呼ばれているし、

 

旧約聖書雅歌の前身であるシュメールの「聖婚歌」では、

「・私(イシュタル)は野生の雄牛のために入浴し・私は羊飼いのドゥムジーのために入浴し・わき腹に香水をつけ・口に香しい琥珀をぬり・目にコールを塗った・彼(ドゥムジー)は、私の腰を手でなぞり・私の膝をクリームとミルクで満たし・私の恥毛を… (以下略) 」(続きは「世界女神大全1」で)と表現されている。 

 

・娼婦が悲嘆にくれる様は

ドゥムジーが地上から消えた時の女たちの反応とよく似ている。

 

・また、牛の生殖器と娼婦という組み合わせは、性行為を暗示するものである。

 

殺牛・去勢=ドゥムジーの死

 ↓

女たちの嘆き

 ↓

神殿娼婦が牛の生殖器の上に座る=イシュタルとドゥムジーの交合

 ↓

天の牛の角=豊穣の回復

 

とみることができるだろう。

 

神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

イシュタル:…新年の元日には、イシュタルとタンムズが床をともにすることになっている。そこで、地上の王は神殿の秘密の部屋で女神(神殿娼婦)と交合の儀式を行い、神話的な聖婚を再現する…ギルガメシュによれば、イシュタルは愛人に対して残酷だった。それは、彼女の愛人たちが次々と例外なく、自らの血で大地の生産力を回復させるあの生贄となる男神を体現していたからである。雄牛がこの男神の化身とみなされた場合、その雄牛は去勢され、切断された雄牛の生殖器がイシュタルの像に向って投げつけられた。「これはたぶん、イシュタルをたたえて行われた自己去勢の儀礼に由来する」。イシュタルの巫女たちは年ごとにエルサレムの神殿で女神に男神を捧げる供犠の儀式を行っていた模様である。…彼女に仕える聖なる女たちは、年に一度、生贄にされたタンムーズの死をいたんで声を上げて泣いた(エゼキエル書)」

アッティスキュベレのこの世の化身である処女神ナナの息子で…処女神の息子の典型である。アッティスは、成人すると、人類救済のために供犠のため生贄となり、救世主となった。アッティスの肉体はパンとして崇拝者たちが食べた。アッティスは…。去勢され松の木の十字架刑にされた。ナナはシュメールのイナンナ…アッティスの死んだ日は、「黒い金曜日」と呼ばれ、アッティスの像は神殿に運ばれ、…その儀式の間、入信者たちは去勢されたアッティスに習い自らを去勢し、雄牛の供犠において生贄とされた雄牛の男根とともに女神にその切断した男根を捧げた。」

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※エフェソスのアルテミス像:胸部の房状の造形は牡牛の睾丸とも解釈されている。地母神と雄牛との繋がりを示唆するものだ。

ミノス:…神話編纂者は、供犠としてのパシパエー(女神)と雄牛神との交わりを奇妙な倒錯とし、彼女の息子の雄牛の顔を持つミノタウロスを化け物として書き換えた。しかし、生贄の動物数頭との性交の仕草を演じるのは、古代オリエントの女王たちの風習であった」

ギルガメシュ叙事詩(ちくま学芸文庫)

「これらのテーマ(天の牛)は、オリエント及び地中海世界で発展した牛をめぐる神話(エウローパ神話、ミノタウロス神話など)主としてイベリア半島で行われている闘牛のならわしと関係がある広い文化史との繋がりを持つものであり、今後の解明が期待される問題と思われる。」

 

 

◆イエスとマリア

 

このように古代メソポタミアにおいては、

 

女性原理が男性原理を完成させ、

 

男性原理は一度殺害された後に

 

女性原理によって復活を遂げる

 

という思想があったようである。

 

ギルガメシュ叙事詩では

 

ギルガメシュがイシュタルを罵倒するなど

 

地母神イシュタルの地位(女性原理)に陰りがみえるが

 

それでも女性原理はまだ主導的地位にあった。

 

古代オリエント世界では地母神(女性原理)の地位は強大だった。

 

 

これらの思想は、

 

キリスト教のイエスマグダラのマリアとの関係にも通ずるものがある。

 

マグダラのマリアは「塔(ジグラト)の上のマリア(神殿娼婦)」という意味があるし、

 

エスは地上の王・キリストとして一度死に復活を遂げているが、

 

聖婚を思わせる塗油行為(イエスナルドの香油を注ぐ行為)や

 

※ナルドの香油:インド交易によってもたらされた香草(ナルド)から抽出される。非常に高価なもので1瓶が300万円ほどする‼イエスに対するマリアの畏敬の深さを物語る。

 

エスの復活の目撃など

 

エスの復活に関与したのはマリアである

 

キリスト復活の物語は、

 

イシュタルとドゥムジーの聖婚儀礼と構造が極めて類似しており、

 

キリストの復活物語

 

メソポタミア・バビロンの神話の強い影響のもとに

 

成立したと考えられる。

 

 

キリスト教マリア信仰のベースには

 

メソポタミアの古代地母神信仰がある。

 

 

外典とされるグノーシス主義福音書である

 

「マリヤによる福音書」「トマスによる福音書」「フィリポによる福音書」からも

 

オリエントの聖婚思想に裏打ちされたマリアの能力権威

 

家父長的思想への対抗軸としての両性具有的存在への回帰

 

読み取ることができる。

 

一方、

 

正典とされる福音書からは

 

多かれ少なかれマグダラのマリアを牽制することによって

 

使徒的で家父長的な教会の権威が際立たされている。

 

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

 

 ※詳しくは「外典の中のマグダラのマリア」で

 

おそらくは、

 

原初キリスト教団におけるマリアの権威は大きく、

 

エスの死後、マリアの派閥とそれに対抗する男性使徒との間に

 

対立が生じたのだろう。

 

最終的にはマリアの派閥は敗北するのだが、

 

オリエントの地母神信仰に裏打ちされたマリア信仰は根強く、

 

キリスト教の「裏」の信仰として受け継がれるのである。

 

 

世界女神大全Ⅱ

マグダラのマリアに先行してあった神話的伝統に照らしてみると彼女が復活したキリストを「園丁」であると「見誤ったこと」が、極めて重大な意味を帯びてくる。シュメール文明において女神イナンナの息子=愛人には「園丁」という名前が与えられていたからであり、その際にイナンナは自分の主人を失って涙を流したからである。また、この息子=愛人を供犠する儀式には神殿付の女祭司による塗油行為が含まれていたことは、マグダラが文字通り「神殿=塔の女」を意味する事実と、またもや興味深い符合を見せるのである。売春と塗油の結びつきも示唆的である。なぜならば、女神の宗教における神殿付女祭司の役割には神聖な儀式としての塗油及び売春行為が含まれていたからである。塗油行為は、エンキドゥに対するギルガメシュの悼みの言葉を想起させるものであり、「汝に香油を塗りし淫売は、いま汝を悼む」と解釈されているが、ここでの「淫売」は、(本来的な意味は)「神殿付女祭司」なのである。」

図説世界女神大全II

 

聖婚

聖婚―古代シュメールの信仰・神話・儀礼

 

 シュメールの学者・クレーマーもキリスト復活の物語とシュメールの聖婚の関連性を指摘する。

神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

キリスト:「油を塗られた者」の意。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来する。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシャ語chrism)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めた(Rawson,Philip.Erotic Art of the East)…昔は聖なる結婚で王権が保たれたため、…その正式な叙位式として塗油行為が行われた。詩篇作者の「あなたは私の頭に油を注ぎ」という言葉は、神-王の男根に油を塗った古代の慣習から来たものである。そしてこの「頭」とは男根の婉曲表現…やがて(聖婚が)行われなくなり、そのために男根に油を塗ることに代わって頭に油が塗られるようになるのである。新約聖書のキリストのように救世主は葬りのためにのみ油を塗られることとなった(「ヨハネによる福音書」12:7)。葬りとは、大地との結婚であった。イエスがキリストとなったのはマリアがイエスの葬りの用意のために、イエスのからだに香油をそそいだ時であった(「マタイによる福音書」26:12)。マリアはまたイエスの復活をも告げた(「マルコによる福音書」15:47)。