京都痕跡街歩き

街角にひそむ歴史の痕跡を探して

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎④

 

バラモン教では、女性原理と男性原理はどのような関係であったか

 

ヴェーダの神々

  

バラモン教ヴェーダの神々で有名なのが、

 

ディーヴァ・インドラ・ミトラヴァルナ・アシュラ・アグニである。

 

これらは共住時代からアーリア人が信仰していた古の神々で、

 

いずれも男神である。

 

※共住時代の最高神は太陽神のアシュラだったようだ。イラン系アーリア人は、アシュラをゾロアスター教の主神アフラ・マズダとして信仰する(アシュラ=アフラ)。一方、インド系アーリア人は対抗意識からアシュラを魔人に貶め、インドラを主神に据える。インド系アーリア人はプライドが高いのである。わが国には阿修羅としてやってくる。ディーヴァは天の神だが(言語的にはゼウスに通ずる)、身近な神ではないため「閑ろな神」として人々から忘れる傾向にある。ミトラ・ヴァルナは契約・博愛・執行の神。ヒッタイトとミタンニとの国際条約でも「ミトラ・ヴァルナの名のもとに」条約が結ばれた。ヒッタイト・ミタンニの両国で共通の崇拝されていたのだろう。アグニは火の神。リグヴェーダにおいてアグニに対する賛歌が多いことからインド系アーリア人は重視したようだ。遊牧民にとって火の存在は大きかった。荒野でのキャンプファイヤー遊牧民の心を温めたのだろう。また、空に向って燃え上がる炎には天に生贄を運ぶ機能があるので、供犠を重んずるアーリア人にとってはその意味でも重要だった。「護摩」炊きはホーマ(供犠)に由来するが、もともとは遊牧民の火への信仰なのだ。

 

アーリア人は、

 

男性原理優位の宗教意識を持っていたである。

 

遊牧民族にとって

 

どこへ移動しても頭上にある「天=男性原理」が重要だったのであり、

 

逆に

 

大地との関係は希薄で、

 

「生み出す大地」の象徴である女性原理も重視されなかったのだろう。

 

もちろんヴェーダの中にも女神がいる。

 

水の女サラスヴァティも共住時代からの古い神であるが、

 

ヴェーダでは女神は限られている

 

アーリア人の故郷はステップ地帯に属し乾燥しており、

 

水・河が崇拝の対象になったが、

 

水は女性原理と不可分であるから、

 

女神が例外的に信仰の対象となったのだろう。

 

※サラスヴァティは、仏教に取り入れられ弁財天となる。イラン系アーリア人の間ではアナヒターとして信仰される。一説によるとアナヒターはメソポタミアのイシュタル・イナンナと習合しナナイアあるいはアルドフショーとなり、イラン系部族がインドに持ち込み、観音の原型になったという(岩本裕「観音の表情」)

 

 

 ヴェーダの王の即位儀式

 

ヴェーダでは、通過儀礼・王権授与はどのようになされたのだろうか。

 

ヴェーダには以下のように通過儀礼・即位儀式についての詳しい記載がある。

 

世界宗教史〈2〉石器時代からエレウシスの密儀まで(下) (ちくま学芸文庫)

世界宗教史〈2〉石器時代からエレウシスの密儀まで(下) (ちくま学芸文庫)

 

 

 

王権 (岩波文庫)

王権 (岩波文庫)

 

 

 

【ディークシャー】

 

・ディークシャーは、高次の存在様式に昇華する儀式である。

・儀式を受ける者(供犠執行者)は、神への生贄である。

=世界樹に吊るされ知恵を得たオーディーンを想起

・儀式を受けることは、一度死に二度生まれることである。

・祭司が供犠執行者に水をかける。

=水は「精液」を意味する

・供犠執行者は、特別な納屋に入れられる。

=納屋は「子宮」を意味する

・供犠執行者は白い衣服を着さされる。

=「白い衣服」は羊膜を意味する。

・供犠執行者は納屋から出て、四方に広がる空間の上に立つ

=再生と宇宙の支配を意味する。

  

【ラージャスーヤ】即位儀式

 

王の即位の儀式に先立って、ディークシャーが1年行われる。

1年間のディークシャの中には断食・苦行が含まれる。

=王権には苦行(タパス)が必要と考えられたようだ。修行中のシヴァをパールヴァティが誘惑した際、第三の眼でカーマを焼き尽くす「シヴァとパールヴァティ」の物語(マハーバーラタ)にも通ずる。

中心となる儀式は新年に行われる。

=世界の再生・春の訪れを願う豊穣の祭りの側面もある

儀式からは女性が排除される。

=ただし、ヴェーダ時代より後には王妃も参加する事実がある

供犠執行者は宇宙・世界を体現している。

供犠執行者は白い衣服を着る。

司祭が灌頂儀式(頭に水を灌ぐ)と塗油儀式(精製されたバターを流しかける)

=これにより神聖が付与される(聖別)。儀式のクライマックス。

供犠執行者は四方に歩を進め、王座に立ち両腕をあげる。

=四方への歩みは、地上界の支配、王座へ上ることは時間の支配を意味する。x軸・Y軸が空間をz軸が時間を意味するのだろう。供犠執行者は宇宙軸(アクシス・ムンディ)を体現する。王は空間と時間を支配するのである。

 

 

即位儀式にはランクがあり、

 

最高度の儀式になると(お金が掛かる…)

 

アシュヴァメーダという儀式が伴った。

 

 

【アシュヴァメーダ】馬祀祭

 

・新年に行われる儀式

=世界の再生・春の訪れを願う豊穣の祭りの側面もある。

・馬は植物を活性化させる機能がある

=馬は生命力、季節の循環、世界、宇宙を象徴している

・特別に用意された駿馬を一年間放つ

・その馬の行く先が領土となる

=馬は領土を支配する「王の力」「王権」を意味する。

・一年後に馬を連れ帰る

・供犠として多数の獣とともに殺される

・主妃が死んだ馬と添い寝し、性交のまねごとをする。

・そのわきで祭祀と他の王妃は卑猥な冗談を投げかけ合う

・主妃が立ち上がると、馬は解体し、肉は分配される。

※馬の代わりに人が犠牲になる「プルシャメーダ」という儀式もあった。

 

 

メソポタミアとインドの王権授与儀式とを比較すると

 

ディークシャー・ラージャスーヤに関しては

 

・王が一度死に、再生すること(死と再生)、

 

・年初めに儀式が行われ、豊穣の儀式の側面があること

 

・塗油行為を伴うこと、

 

・世界の中心で即位儀式を行うこと

(メソポタミア:ジッグラト・インド:王座)

 

などに共通性が見られる。

 

「豊穣・世界の再生=王の死と再生」

 

という基本構造は共通する。

 

しかし、

 

メソポタミアのように性行為(聖婚)を伴わず、

 

儀式のクライマックスである聖別儀式

 

女性原理は登場しない。

 

また、

 

メソポタミアにおいては、王は地母神の愛人・息子であり、

 

王は地母神に対する生贄になるのに対し、

 

リグ・ヴェーダにおいては、

 

「汝の身体を増大させつつ、汝自らを犠牲にせよ」とあるように、

 

あくまで

 

「自らの自らへの犠牲」(オーディーン箴言)なのである。

 

 

女性原理(地母神)は儀式の中心にないのである。

 

 

アシュヴァメーダに関しては

 

 

・年初の豊穣祭・王の死と再生

 

・聖婚と王権授与

 

・動物供犠

 

・人間の女性と動物遺体との疑似性交など、

 

メソポタミアの聖婚儀式とアシュヴァメーダとの間に共通点もみられる。

 

しかし、

 

女性原理は、

 

王権を王に伝える媒介に過ぎないのであり、

(馬=王権→疑似性交→〔王妃〕→結婚→王)

 

メソポタミアのような

 

王権を授与する女性原理(地母神)」

 

との観念は見受けられない。

 

 

これらの儀式は、

 

おそらくメソポタミアの影響を受けつつ

 

アーリア人独自の

 

男性原理中心思想」や「馬信仰」のもとで発展したのだろう。

 

※宗教学の泰斗エリアーデは「シュヴァメーダは明らかにインド・ヨーロッパ諸民族起源である。」と言い切ってるが…

 

ヴェーダ時代、

 

社会・宗教においては、

 

男性原理が中心であった。

 

 

【追記】

◆獣と女神のモチーフについて

 

アシュヴァメーダには、

 

「王妃が馬の死骸と性交のまねごとをする」

というエキセントリックな儀式が含まれているが、

女神・王妃と馬・牛との性交をモチーフとする神話・儀式が、

その特殊な内容にもかかわらず、

北欧、地中海、メソポタミア、インド、中国、日本と広い地域にみられる。

 

具体的に言えば、

 

アイルランドの即位儀式

 (王は雌馬の死骸と性交の儀式を行う)

ギリシャ神話のデメテールの話

 (馬に化けた王妃を馬に化けたポセイドンが犯す話)

ギリシャ神話のミノタウロス神話

 (牛に化けたゼウスが女神を犯し、ミノタウロスが生まれる話)

ギルガメシュ叙事詩の天牛殺の話

・日本神話のスサノオの悪事の話

(馬の死体を女神に投げつけた結果、機織りの器具でホトをついて女神が死ぬ話)

・中国の馬頭娘

・日本の東北地方の巫女に伝承される「オシイラ祭文」(遠野物語)

 

などである。

 

おそらくは、

インド・ヨーロッパ語族の中で組み立てられた神話体系が

 騎馬民族の間で共有され、

中国・日本にはユーラシアを東進したスキタイ系騎馬民族が運んできたのだろう。

 

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※林俊雄「スキタイと匈奴・遊牧の文明」より

 

詳しくは下記の文献参照。

 

マハーバーラタの神話学

マハーバーラタの神話学

 

 ※「馬に汚される大女神」参照

 

観音変容譚―仏教神話学〈2〉 (仏教神話学 (2))

観音変容譚―仏教神話学〈2〉 (仏教神話学 (2))

 

 

 ※ユーラシア大陸の諸神話における「馬と女性性」参照

 

インド・ヨーロッパ古代の異類婚姻譚について

https://kdu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=841&item_no=1&page_id=13&block_id=21

 

馬頭観音・馬頭明王とアシュヴァメーダ

 

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日本で目にする馬頭観音の頭上には馬の頭が乗っかっている。

これは、草を食らいつくす馬のように

煩悩を喰らいつくすことを意味するといわれる。

大日経疏」では「転輪王の宝馬が休むことなく四州を巡履するごとく」衆生のために奔走する明王と説明される。

「四州を巡履する転輪王の宝馬」のイメージは、アシュヴァメーダの「国土を一年間巡り諸王を打ち負かし領土とする馬」に由来するのだろう。

(弥永『火を噴く馬頭観音』「観音変容譚」参照)

 

 

◆深曽木の儀

男の子が5歳になると行う儀式に

「深曽木の儀」というものがある。

男の子が囲碁盤の上に上り再び飛び降りるというものだ。

これは、囲碁盤を世界に見立て、

四角形の囲碁盤に立つことは「四方(世界)を制す」意味があるという。

※ソースは忘れた…

 

もともとは王の即位儀式であったのだろうか。

 インドのラージャスーヤを思わせる。

 

大嘗祭の天羽衣

 

大嘗祭は、天皇が行う豊穣の祭りである。

大嘗祭では、天皇は天羽衣という白い衣を着て

湯あみをするという。

羽衣が羊膜、水が羊水を意味し、

儀式は死と再生の疑似行為という(西郷信綱説)。

日本書紀の「真床覆衾」に相当。

これもまたインドのディークシャーに似ている。

起源については今後の宿題…

 

天皇の即位儀礼と神仏

天皇の即位儀礼と神仏

 

 

 

大嘗祭の本義

大嘗祭の本義

 

 

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎③

では、今度は古代インドにおける女性原理と男性原理を時代別にみてみよう。

 

インダス文明

 

インダス文明の文字の解読が出来ていないため詳しい内容が分からないが、

 

男根崇拝地母神信仰牡牛信仰があったようだ。

 

印章の中には、多くの獣に囲まれ、行者らしき男が

 

男根を屹立させヨガのポースをとるものがあり、

 

今日のヒンドゥー教で男根の形で崇拝され、獣の主、苦行者として崇拝される

 

シヴァ神のプロトタイプと考えられている。

 

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また、地母神をかたどるテラコッタ

 

後の七母神に繋がると思しき七人の女神像も発見されている。 

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 ※モヘンジョダロ出土

 

古いインドの土着宗教を引き継ぐと考えられる南インドの村においては、

 

大体が女神を崇拝していることから(斎藤昭俊「インドの民族宗教」)、

 

インドの民俗宗教

インドの民俗宗教

 

 

インダス文明においても、

 

地母神(女性原理)が大きな役割を果たしていたと考えられる。

 

また、バーレーンディルムンからはインダスの印章が見つかっていることから、

 

メソポタミア文明インダス文明との間に海洋交易が存在していたことが知られる。

 

インダス文明はオリエントの影響を受けつつも

 

独自発展を遂げたのだろう。

 

ディルムンメソポタミアとインドの海洋交易の要衝として栄えた。一説によればギルガメシュ叙事詩エデンの園に比定される。

 

インド・アート―神話と象徴 (アジア文化叢書)

インド・アート―神話と象徴 (アジア文化叢書)

 

 ※zimmerはシュメールの神とヴェーダヒンドゥー教の神の類似性を指摘している。

 

アーリア人流入

 

BC1500年頃

 

東欧あるいはカスピ海周辺に住んでいた遊牧民族

 

インドヨーロッパ語族(アーリア人)

 

食料問題に直面し移動を開始する。

 

西に向かう一派は、

 

ヨーロッパ人の起源となり、

 

東に向かう一派は、

 

イランに入ったイラン系アーリア人

 

インド亜大陸に入ったインド系アーリア人に分かれる。

 

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 ※山崎元一「古代インドの文明と社会」より

 

ヨーロッパ・北欧・イラン・インドの言語、神話

(インド神話ギリシャ神話・北欧神話等)

 

類似性が見られるのは、

 

移動前に共有していた言語・神話を移動後も維持したためである。

 

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※言語的類似性(山崎元一「古代インドの文明と社会」より)

 

さて、インド系アーリア人の動きを追ってみよう

 

アーリア人の宗教のバラモン教聖典

 

リグ・ヴェーダでは、

 

ダーサ(農耕土着民)が立てこもる強固な「プル」(城壁)を

 

最高神インドラ(ギリシャ神話のゼウスに当たる)が

 

チャリオット(戦闘用馬車)に乗りながら

 

チャリオット:映画グラディエーターにも登場する古代戦車。歩兵などは蹴散らされそうだ。

 

ヴァジュラ(雷撃)で打ち砕き、ダーサを支配下に置いた。

 

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※左:ゼウス・中:帝釈天・右:ヴァジュラ(金剛杵) インドラは仏教に取り入れられ帝釈天になる。アーリア人は共住時代から雷神を祭っていた。インドラとゼウスの起源である。ゼウスもインドラ(帝釈天)も雷撃を表すヴァジュラを手にもつ。ムスカ大佐「これから王国の復活を祝って、諸君にラピュタの力を見せてやろうと思ってね…。見せてあげよう、ラピュタの雷を!!旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ!ラーマヤーナではインドラの矢(ヴァジュラのこと)とも伝えているがねッ」

 

とされる。

 

アーリア人は、

 

チャリオットの圧倒的な軍事力で

 

インドの都市を次々に支配下に置いて行ったようだ。

 

リグ・ヴェーダなどの文献からは他に、

 

アーリア人が「白い肌」と「ほりの深い顔」をしていたこと

 

馬と供犠を重んじ、男根信仰・地母神信仰をしていなかったこと

※馬はアーリア人の戦力の源泉であるから信仰の対象となる。

 

・自己の文化に非常に誇りを持ち、インド土着の文化を蔑んだこと

 

・呪文・賛歌を宗教儀礼とする、ある種の「言霊」思想を持っていた。

※呪文・賛歌の内容を間違って発生すると霊力が損なわれるということで、一言一句間違えないように細心の注意をもって暗唱したという。リグヴェーダだけでも源氏物語と同じ分量である。後に密教マントラに繋がっていく。古ゲルマンの呪文も同じ思想なのだろうか??

 

・家族は家父長を中心に三世代で構成され、家族が集まってヴィシュ(氏族)、氏族が集まってジャナ(部族)を構成していたこと。

つまり、ピラミッド構造の男性社会

 

・戦車競技・さいころ賭博が大好き

 

・スーラ酒が好き。ソーマ酒という幻覚作用のある酒が大好き

※一説には、ソーマ酒はベニテングダケの一種から作られたとされる。

 

・先住民の女性を奴隷・妾としていたこと

※混血児は家族の構成員・準構成員となった。そのため混血が進んだ。混血児は母親の言葉に影響をうけ、結果、家族全体の言語さらには氏族・部族の言語にも影響を与える。リグ・ヴェーダにもすでに土着言語特有の反舌音の単語が含まれている。

 

・土着民は色が黒く供犠は行わず、男根信仰・地母神信仰を行っていたこと。

 

・土着民の中にはアーリア人から見て非常に裕福な者(パニ)がいたこと

※オリエント等の海洋交易を通じて富を蓄えた商人なのだろう。

 

などが分かっている。

 

今でいえば、

 

アーリア人

 

「パチンコ、競輪が大好きな酒飲みで

時には覚せい剤も打つ女好きの好戦的なレイシスト

 

ということになる!?

 

あまり友達になりたくないですね…

 

次回は、ヴェーダからアーリア人の宗教意識を読み取ってみよう。

 

【追記】インドヨーロッパ語族の故郷

 

インドヨーロッパ語族の故郷については諸説ある。比較言語学からはインドヨーロッパ語族に共通する単語を分析することにより、共住時代の居住環境を再現し、インドヨーロッパ語族の故郷を推測するアプローチがとられている。

それによれば、「ブナの木が生え、牛の馬が飼育され、川にはサケやマスが泳ぎ、森には狼や熊が棲息する…」という結論がえられた。

そこから、カスピ海、東欧、北欧等に候補地が絞られるのだという。

 

世界の歴史(3)古代インドの文明と社会
 

 

印欧語の故郷を探る (岩波新書)

 

 

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎②

 

古代宗教における女性原理男性原理との関係はどのようなものだったのか??

 

世界最古の物語、ギルガメシュ叙事詩を素材にみてみよう。

 

ギルガメシュ叙事詩

 

ギルガメシュ叙事詩の概要は以下のようなもの。

 

 

・昔々、メソポタミアに半神半人のギルガメシュという暴君がいた。

・神々は、ギルガメシュを懲らしめるためにライバルのエンキドゥを創造する。

・野山を駆ける野人エンキドゥは、神殿娼婦に導かれギルガメシュ王の統治するウルクにやってくる。

・エンキドゥとギルガメシュは争うが、互いに認め合い親友になる。

・エンキドゥとギルガメシュは、森の悪魔フンババ退治にでかけ、フンババに勝利する。

・大地の女神・イシュタルは、ギルガメシュの雄姿にほれ込み、

求婚するも、ギルガメシュに罵詈雑言を浴びせかけられたうえに振られる。

・メンツをつぶされたイシュタルは激怒し、天の牛を地上に遣わし災いをもたらす。

・そこで、エンキドゥとギルガメシュが協力して天の牛を殺害。

・天の牛を殺したことで、エンキドゥは神々から呪いをかけられ死亡

・親友の死にギルガメシュは、自分もいずれ死ぬ運命を憂い、永遠の命をもとめて旅をする。

・大洪水を生き延びた男から永遠の命をもたらす植物を手に入れるが、旅の途中でに奪われてしまう。

 ※死への向き合い方などは東洋思想に親近性がある。世界最古の文学とは思えないほどよく練られた物語

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)

 

 

www.youtube.com

 

この物語の中で注目すべき点は、

 

・野山を駆け巡っていた野人のエンキドゥが、

神殿娼婦と交わることで、知恵を得て野人から文明人に変化したこと

 

ギルガメシュは、大地母神のイシュタルとの聖婚を拒絶することにより、を受け入れなければならなくなったこと。逆をいえば、イシュタルを受け入れれば不死を手に入れ人間以上の存在に成りえたこと。

※イシュタルとドゥムジーの神話では、人間であった牧人ドゥムジーは、イシュタルの愛を受けることで、神性が与えられた。

 

である。

 

ギルガメシュ叙事詩(ちくま学芸文庫)の解説では

 

 エンキドゥは、この遊び女(神殿娼婦)によって野生の荒々しさを捨て去り獣の状態から人間にかわり、女といっしょにおとなしくウルクに向ったのであるが、この根底には単なる風俗以上の原初の観念が潜んでいるように思われる

 

とある。

 

敷衍すると

 

女性原理と交わることで、

男性原理がアップグレードされる

 

という思想があったということだろう。

 

旧約聖書では「イブにそそのかされたアダムが木の実を食べ知恵を得た」という話があるが、エンキドゥと神殿娼婦の話はその源流にあたる。ギルガメシュ叙事詩では、女性が直接的に男性に知恵を与えたという構造になっており、女性原理が肯定的にとらえられていた。

 

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 ※ジグラト:神殿の頂上には寝台があり、そこで神婚の儀が行われた。(wikipediaより)

 

物語だけでなく、

 

実際のシュメールの王も、

神殿(ジッグラト)の頂上にある寝台で、

塗油行為を伴った神殿娼婦との聖婚により、

その王の地位(王権)を確かなものにした

 

とされる。

 

 ギルガメシュ叙事詩には「香油でお前を聖別した女(神殿娼婦)は、今お前のことを嘆いている」と書かれているが、神殿娼婦との交合においては塗油行為が伴っていいたようである。救世主のことをメシア(油を塗られし者)とよぶが、これもシュメールに起源がある。オリエントなどの乾燥地帯ではメンテナンスのために道具や肌に油を塗る行為が一般的に行われていた。そのため「塗油=質を向上させる=完成させる」というイメージの連関があるのだろう。ちなみに、シュメール文明では、契約成立の際に当事者の頭に油を注ぎ合ったそうだが、これも「塗油=完成・成立」というイメージに基づくものだろう。

図説世界女神大全

図説世界女神大全

 

 ◆神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

王位:…男系長子相続の法は存在しておらず、王が自分の息子によって相続されることは稀だった。シュメールやアッシリアの王の場合、王が誰なのかわからなかった。エサックルナ王は「無名の者の息子」と呼ばれた。…王位に就くためには、この地上の女神を体現している女王と結婚しなければならなかったのであり、これが聖婚の本来の意味だった。」

神話・伝承事典―失われた女神たちの復権

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◆生贄にされる王

 

さらに古代メソポタミアでは、

 

男性原理が女性原理のために一度殺され、

女性原理と交わることで再生する

 

という思想もあったようだ。

 

それを示すのが

 

神話の中の大地母神イシュタルと夫・ドゥムジーとの関係である。

 

イシュタルの冥界下りの概要は以下の通り。

 

 ドゥムジーが冥界へ行くと、生物が生殖活動をやめてしまった。

女たちは地上に座り、髪を振り乱して涙を泣かしてドゥムジーの復活を願った。

そこで、イシュタルはドゥムジーを取り戻すべく冥界に下り、

ドゥムジーを連れ帰った。

そうすると地上で生命活動が再びはじまった。

 

旧約聖書エゼキエル書にもよく似た記載があり、イシュタルの冥界下りの話はオリエント世界で普及していたと考えられる。また、東方へも伝播し七夕伝説の起源ともなった。イシュタルは冥界へ行く際に七つの門をくぐりそのたびに衣服を脱がされるという記載がある。冥界と七という数字の関連性は、仏教の「四十九日法会」「初七日法会」にも影響を与えているし、古事記イザナギは、冥界のイザナミに会いに行く際に、七つの衣服を脱ぐのであるが、これなどはイシュタルの冥界下りの影響を受けていることに疑いないところである(「ギルガメシュ叙事詩」(ちくま学術文庫・解説)「死と再生」(井本英一)参照)。

 

一年の季節のサイクルを、

 

・冬になり男性原理(生命活動)が弱まると、

・男性原理は一度殺され、

・女性原理が冥界に下り、

・男性原理と交わることで

・男性原理を再生させる

 

と解釈したのだろう。

 

シュメールの王は、神話の世界観をそのまま儀式として再現したそうだ。

 

つまり、

 

新年に

王がドゥムジーに扮して、

神殿娼婦がイシュタルに扮し、

神殿の頂上で性行為に及んだ

 

とのことだ。

 

また、

 

シュメールの王朝の後のバビロンの新年祭では、

 

王は祭司に殴られた

 

バビロンの聖典では

「もし王が打たれた時に涙を流さなければ、悪い年の兆候である」

と記されている。

 

さらに、

 

バビロンのサカイアの祭りでは、

 

死刑囚は、祭りの5日間だけ王位を譲られ、

王衣を着て王妃と床を供にすることができたが、

後に串刺しによって殺害されたそうだ。

 

これらの儀式は、男性原理が一度殺されることを祭りで再現したものだ。

 

図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)

図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)

 
 

シュメールでは

 

男性原理の殺害は、殺牛によって仮託されたのだろう。

 

ギルガメシュ叙事詩では、

 

 

エンキドゥは、天牛を殺害し、

 

天牛の「もも」(生殖器の婉曲表現として用いられる)を切り裂き、

 

イシュタルに投げつけた。

 

イシュタルが呼び寄せた神殿娼婦たちは、

 

天牛のももの上で悲嘆にくれた。

 

天牛の角は、ラピスラズリと油でできており、

 

地上に財宝をもたらすことになる。

  

 

と書かれている。

 

・イシュタルの夫・ドゥムジーは

天界の雄牛」「野生の雄牛」と繰り返し呼ばれているし、

 

旧約聖書雅歌の前身であるシュメールの「聖婚歌」では、

「・私(イシュタル)は野生の雄牛のために入浴し・私は羊飼いのドゥムジーのために入浴し・わき腹に香水をつけ・口に香しい琥珀をぬり・目にコールを塗った・彼(ドゥムジー)は、私の腰を手でなぞり・私の膝をクリームとミルクで満たし・私の恥毛を… (以下略) 」(続きは「世界女神大全1」で)と表現されている。 

 

・娼婦が悲嘆にくれる様は

ドゥムジーが地上から消えた時の女たちの反応とよく似ている。

 

・また、牛の生殖器と娼婦という組み合わせは、性行為を暗示するものである。

 

殺牛・去勢=ドゥムジーの死

 ↓

女たちの嘆き

 ↓

神殿娼婦が牛の生殖器の上に座る=イシュタルとドゥムジーの交合

 ↓

天の牛の角=豊穣の回復

 

とみることができるだろう。

 

神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

イシュタル:…新年の元日には、イシュタルとタンムズが床をともにすることになっている。そこで、地上の王は神殿の秘密の部屋で女神(神殿娼婦)と交合の儀式を行い、神話的な聖婚を再現する…ギルガメシュによれば、イシュタルは愛人に対して残酷だった。それは、彼女の愛人たちが次々と例外なく、自らの血で大地の生産力を回復させるあの生贄となる男神を体現していたからである。雄牛がこの男神の化身とみなされた場合、その雄牛は去勢され、切断された雄牛の生殖器がイシュタルの像に向って投げつけられた。「これはたぶん、イシュタルをたたえて行われた自己去勢の儀礼に由来する」。イシュタルの巫女たちは年ごとにエルサレムの神殿で女神に男神を捧げる供犠の儀式を行っていた模様である。…彼女に仕える聖なる女たちは、年に一度、生贄にされたタンムーズの死をいたんで声を上げて泣いた(エゼキエル書)」

アッティスキュベレのこの世の化身である処女神ナナの息子で…処女神の息子の典型である。アッティスは、成人すると、人類救済のために供犠のため生贄となり、救世主となった。アッティスの肉体はパンとして崇拝者たちが食べた。アッティスは…。去勢され松の木の十字架刑にされた。ナナはシュメールのイナンナ…アッティスの死んだ日は、「黒い金曜日」と呼ばれ、アッティスの像は神殿に運ばれ、…その儀式の間、入信者たちは去勢されたアッティスに習い自らを去勢し、雄牛の供犠において生贄とされた雄牛の男根とともに女神にその切断した男根を捧げた。」

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※エフェソスのアルテミス像:胸部の房状の造形は牡牛の睾丸とも解釈されている。地母神と雄牛との繋がりを示唆するものだ。

ミノス:…神話編纂者は、供犠としてのパシパエー(女神)と雄牛神との交わりを奇妙な倒錯とし、彼女の息子の雄牛の顔を持つミノタウロスを化け物として書き換えた。しかし、生贄の動物数頭との性交の仕草を演じるのは、古代オリエントの女王たちの風習であった」

ギルガメシュ叙事詩(ちくま学芸文庫)

「これらのテーマ(天の牛)は、オリエント及び地中海世界で発展した牛をめぐる神話(エウローパ神話、ミノタウロス神話など)主としてイベリア半島で行われている闘牛のならわしと関係がある広い文化史との繋がりを持つものであり、今後の解明が期待される問題と思われる。」

 

 

◆イエスとマリア

 

このように古代メソポタミアにおいては、

 

女性原理が男性原理を完成させ、

 

男性原理は一度殺害された後に

 

女性原理によって復活を遂げる

 

という思想があったようである。

 

ギルガメシュ叙事詩では

 

ギルガメシュがイシュタルを罵倒するなど

 

地母神イシュタルの地位(女性原理)に陰りがみえるが

 

それでも女性原理はまだ主導的地位にあった。

 

古代オリエント世界では地母神(女性原理)の地位は強大だった。

 

 

これらの思想は、

 

キリスト教のイエスマグダラのマリアとの関係にも通ずるものがある。

 

マグダラのマリアは「塔(ジグラト)の上のマリア(神殿娼婦)」という意味があるし、

 

エスは地上の王・キリストとして一度死に復活を遂げているが、

 

聖婚を思わせる塗油行為(イエスナルドの香油を注ぐ行為)や

 

※ナルドの香油:インド交易によってもたらされた香草(ナルド)から抽出される。非常に高価なもので1瓶が300万円ほどする‼イエスに対するマリアの畏敬の深さを物語る。

 

エスの復活の目撃など

 

エスの復活に関与したのはマリアである

 

キリスト復活の物語は、

 

イシュタルとドゥムジーの聖婚儀礼と構造が極めて類似しており、

 

キリストの復活物語

 

メソポタミア・バビロンの神話の強い影響のもとに

 

成立したと考えられる。

 

 

キリスト教マリア信仰のベースには

 

メソポタミアの古代地母神信仰がある。

 

 

外典とされるグノーシス主義福音書である

 

「マリヤによる福音書」「トマスによる福音書」「フィリポによる福音書」からも

 

オリエントの聖婚思想に裏打ちされたマリアの能力権威

 

家父長的思想への対抗軸としての両性具有的存在への回帰

 

読み取ることができる。

 

一方、

 

正典とされる福音書からは

 

多かれ少なかれマグダラのマリアを牽制することによって

 

使徒的で家父長的な教会の権威が際立たされている。

 

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

 

 ※詳しくは「外典の中のマグダラのマリア」で

 

おそらくは、

 

原初キリスト教団におけるマリアの権威は大きく、

 

エスの死後、マリアの派閥とそれに対抗する男性使徒との間に

 

対立が生じたのだろう。

 

最終的にはマリアの派閥は敗北するのだが、

 

オリエントの地母神信仰に裏打ちされたマリア信仰は根強く、

 

キリスト教の「裏」の信仰として受け継がれるのである。

 

 

世界女神大全Ⅱ

マグダラのマリアに先行してあった神話的伝統に照らしてみると彼女が復活したキリストを「園丁」であると「見誤ったこと」が、極めて重大な意味を帯びてくる。シュメール文明において女神イナンナの息子=愛人には「園丁」という名前が与えられていたからであり、その際にイナンナは自分の主人を失って涙を流したからである。また、この息子=愛人を供犠する儀式には神殿付の女祭司による塗油行為が含まれていたことは、マグダラが文字通り「神殿=塔の女」を意味する事実と、またもや興味深い符合を見せるのである。売春と塗油の結びつきも示唆的である。なぜならば、女神の宗教における神殿付女祭司の役割には神聖な儀式としての塗油及び売春行為が含まれていたからである。塗油行為は、エンキドゥに対するギルガメシュの悼みの言葉を想起させるものであり、「汝に香油を塗りし淫売は、いま汝を悼む」と解釈されているが、ここでの「淫売」は、(本来的な意味は)「神殿付女祭司」なのである。」

図説世界女神大全II

 

聖婚

聖婚―古代シュメールの信仰・神話・儀礼

 

 シュメールの学者・クレーマーもキリスト復活の物語とシュメールの聖婚の関連性を指摘する。

神話・伝承辞典(バーバラ・ウォーカー・大修館書店)

キリスト:「油を塗られた者」の意。中東地方の生贄になった多くの神々の添え名。「油を塗る」ということは、オリエントの聖婚の儀式に由来する。東方諸国では神の男根像lingam、すなわち神像の勃起した男根は聖なる油(ギリシャ語chrism)を塗られた。それは神の花嫁である女神の膣への挿入を容易にするためであった。神殿に仕える乙女の1人がその女神の役を務めた(Rawson,Philip.Erotic Art of the East)…昔は聖なる結婚で王権が保たれたため、…その正式な叙位式として塗油行為が行われた。詩篇作者の「あなたは私の頭に油を注ぎ」という言葉は、神-王の男根に油を塗った古代の慣習から来たものである。そしてこの「頭」とは男根の婉曲表現…やがて(聖婚が)行われなくなり、そのために男根に油を塗ることに代わって頭に油が塗られるようになるのである。新約聖書のキリストのように救世主は葬りのためにのみ油を塗られることとなった(「ヨハネによる福音書」12:7)。葬りとは、大地との結婚であった。イエスがキリストとなったのはマリアがイエスの葬りの用意のために、イエスのからだに香油をそそいだ時であった(「マタイによる福音書」26:12)。マリアはまたイエスの復活をも告げた(「マルコによる福音書」15:47)。

 

【曼荼羅とマリア】東寺・両界曼荼羅の謎①

今回は、京都の東寺の寺宝「両界曼荼羅」に秘められた意味を探ってみたい。

 

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※国宝:両界曼荼羅

 

今まで曼荼羅を見ても、

 

「ゴテゴテして品のない美術だな」くらいにしか考えず、

 

美術館や宝物殿を華麗にスルーしていましたが、

 

山折哲雄氏の「空海の企て」という本を読んで、

 

曼荼羅のエロテックで神秘的な世界観に驚いた。

 

両界曼荼羅は、金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅に分けられるが、

 

金剛界男性原理を、胎蔵界曼荼羅女性原理を意味している。

 

行者は、この曼荼羅と向き合い瞑想に入り、

 

男性原理と女性原理が交合するイメージを作り

 

悟りの境地に入るというのだ。

 

我々一般人が想像する仏教僧の修行法とはずいぶんとイメージが異なる。

 

この精神世界は密教経典・理趣経に通ずるものだ。

 

空海最澄理趣経の貸し出しを求められた時に、

 

「経典だけで勉強すると誤解を招きかねない」として

 

最澄の求めを断った逸話が有名だが、

 

曼荼羅の隠れた意味を知ると空海の心情がよく理解できる。

 

描かれた曼荼羅パンテオンには、

 

半裸のエロテックでエキゾチックな女神にあふれてる。

 

また、男性原理の金剛は、固く屹立した男性器を意味し、

 

図式的には 三角形(△) ←マリモッコリに見えませんか??

 

で表現され、

 

女性原理の胎蔵は、女性器を意味し、

 

図式的には 逆三角形(▽) ←ビキニの女性に見えませんか??

 

で表現される。

 

そして

 

男性原理と女性原理の交合は、

 

ヘキサグラム=△+▽で表現される。

 

実は曼荼羅にもそのシンボルが隠されているのだ。

 

ここで、話が大きく変わる。

 

ひと昔大流行した「ダビンチコード」である。

 

おいらは読んだことがないのだが、

 

メインテーマは、

 

マグダラのマリアはキリストの妻である。

・聖杯は女性原理の逆三角形を意味し、マリアの子宮。

・剣は男性原理の三角形を意味し、キリストの血

・キリストとマリアの聖婚は、ペンタグラムで表現される。

 

空海曼荼羅の中に女性原理を隠したように、

ダビンチがこれらの秘密を絵画の中に隠した

 

ということだ??たぶん。

  

どこまでが創作なのかはわからないが、

 

異端とされた原始キリスト教の一派の思想には、

 

「男性原理と女性原理の交合で完全なものになる」

 

という発想があったように思われる。

 

どうも東の密教と西の原始キリスト教には、

 

「女性原理+男性原理=完全」という

 

弁証法的思想が背後に隠されているようだ。

 

神話学・宗教学とオカルトとが交錯する話だが、

 

世界宗教史」、「世界女神大全」など

 

比較的信頼できる文献??を参考に

 

次回以降、もう少し詳しくみてみたい。

そして両者の相互の影響の可能性をさぐりたい。

 

空海の企て 密教儀礼と国のかたち (角川選書)
 
世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで(上) (ちくま学芸文庫)

世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで(上) (ちくま学芸文庫)

 
図説世界女神大全

図説世界女神大全

 

 

【心霊スポット?】京都北山・愛欲の狐坂

 京都の狐坂(きつね坂)は、

 

北山・松ヶ崎と岩倉・国際会館を結ぶ峠道で

 

京都屈指の心霊スポットとして名高い??そうです。

 

おいらは、時々夕方にマラソンで狐坂に行きますが、

いままで出会ったことがないのです。

高架が出来てからはそれほど薄暗さを感じられず、

もう心霊が出ることはないでしょう。

うむ…残念。

 

前からその名前の由来について気になっていたので

 

今回は、狐坂について書いてみます。

 

狐坂についての資料を探してみましたが、

なかなか見つからない。

 

ようやく見つけたのがこれ‼

   ↓

新猿楽記

 

平安時代のエリート官僚・藤原明衡が書いた書物なので

さぞかしお固い読みものと思いきや

 

無邪気でエロくて舌鋒鋭い

 

のです。

 

物語中の男は、財産目的

 

20歳年上の女を本妻にするのだが

 

男の妻に対する

 

悪口雑言の調べをご堪能ください♪

 

 第一の本妻は、

すでに60にして紅顔ようやく衰えたり。

首の髪を見れば「はは」として、朝の霜のごとく

面のしわに向えば畳々(じょうじょう)として暮れの波のごとし

上下の歯は欠け落ちて飼い猿の顔のごとく、

左右の乳は垂れて夏牛のふぐりに似たり。

化粧を致すといえどもあへて愛する人もなく、

あたかも極寒の月夜のごとし。

媚び睦ぶることを為すといえどもさらに厭ふ者多く、

なお、盛夏の陽炎のごとし。

吾が身の老衰を知らずして、常に夫の心のなおざりなることを恨む。

故に

本尊の聖天は供すれども験なきがごとく、

事物の道祖は祭れども応少なきに似たり。

野干坂(きつねざか)の伊賀専(いがとうめ)が男祭には蛤苦本(女陰)を叩いて舞ひ、

稲荷山の阿古町が愛法には鰹破前(男根)をうせつて喜ぶ。

五条の道祖「しとぎ」(もちごめ)餅を奉ること千葉手(ちひらて)、

東寺の夜叉飯「きかて」を祀ること百「あじか」

千社を叩いて踊り、百幣をささげて走る。

嫉妬のまぶた毒蛇の擾乱せるがごとし

憤怨の面悪鬼の「がっさい」するに似たり。

恋慕の涙面上の粉を洗い

愁歎の炎肝中の朱を焦がす

 

※参照

大系 日本の歴史〈4〉王朝の社会 (小学館ライブラリー)

大系 日本の歴史〈4〉王朝の社会 (小学館ライブラリー)

 
新猿楽記 (東洋文庫)

新猿楽記 (東洋文庫)

 
 

 

よくも、まーそこまで・・・

 

蛤苦本」・「鰹破前」と、

 

臆することなく筆を走らせる様は

 

平安人の自由闊達な精神にあふれている。

 

訳は新猿楽記 - Wikipediaで確認していただくとして

 

要約すると

 

夫に「夜の営み」を拒否された老妻が、

性欲に身を焦がし、神仏の力で夫の愛情を得ようと

奮闘しているということです。たぶん。

 

愛欲の願掛けのなかに

 

野干坂(きつねざか)伊賀専男祭には

蛤苦本(女陰)を叩いて舞ひ」

 ※専(とうめ):女狐または老女の意

 

とあるように京都北山の「狐坂」が登場している。

 

狐坂には

「伊賀の女狐」を祀る稲荷社があり、

稲荷社の男祭で

女が女陰を叩いて踊った

 

とのことだ。

 

※おそらく狐と稲荷の繋がりを示す最古の記述だろう。

 

もうすこし解釈すると

 

狐坂の周辺には、

豊穣・性愛の神として男根を崇拝する土着信仰があり、

それが稲荷信仰と結びついて、

稲荷の男祭が行われていた。

男祭りでは、

男神を楽しませる神楽として

老いた女が自らの女陰を叩いて舞った

 

ということだろう。たぶん。

 

「沙石集」「敬愛の祭」にもよく似た話がでてくる。

 和泉式部

夫の愛情を取り戻すべく、

貴舟神社敬愛の祭りを執り行った。

祭りでは、

赤い御幣を並べ、

神社の年老いた巫女下半身をさらけ出し

女陰をたたいて舞った。

性愛の仏教史: 愛欲と破戒の秘史を読む - 藤巻一保 - Google ブックス

  

とある。

  

現代の清く正しく美しい日本人からは信じられない話だが

 

古事記にも

 

アメノウズメのストリップ劇(神楽の起源)

 

が記載されている。

 

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」

=アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。

 

古の日本人にとって、

 

「祭りと性愛」は密接な関係

 

があったのだろう。

盆踊り 乱交の民俗学

盆踊り 乱交の民俗学

 
古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる (講談社学術文庫)

古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる (講談社学術文庫)

そこからは

 

ネアカでラテン民族のような日本人の原像

 

が浮かび上がる。

 

静かで上品な日本人は

 

明治維新後の学校・家庭教育たまものなのだ。

 

いいかわるいかはわからないが、

 

外国に比べ自己肯定力の低い子供の量産、草食系男子・絶食男子ということからしても

 

もう少しイタリアンな情操教育が必要かもしれない。

 

(イタリアでは教科書でロレンツィオの言葉「青春はうるわしされど逃れゆく楽しみてあれ明日は定めなきゆえ」を教えるらしい。ななめ上を行っている。ちなみに自殺率は経済的停滞にも係らず日本の4分の1以下。低成長社会の先輩として見習うべきかも)

 

また

 

平安時代の性的な開放性の他に驚かされるのは、

 

愛欲の願掛け(いわゆる「愛敬法」)

の種類の豊富さだ

 

稲荷信仰・ダキニ天信仰

道祖神信仰

歓喜天(聖天)信仰 

密教の夜叉神信仰

※追記参照

 

仏教神道・土着信仰すべてのオプションが用意されている。

 

平安貴族の女性たちは、

 

妻問婚で自らハンティングできないから

 

愛されること」「美しくいること」は切実。

 

和歌のスキルを上げて男の心をつなぎとめるのにも限界がある。

 

そこで「スピリチュアル」

つまり愛欲の願掛けの需要が高まり、

 

その需要に呼応して

 

各宗教が様々な非公式の呪術を生み出し、

 

貴族の財力にすり寄っていった。

 

※これらの呪術は、通常の神仏には叶えられない願いを成就させる強力な効能があるとされたため、時の権力者が政敵に利用されることを恐れ「秘法中の秘法」・禁術(外法)とした(平家物語参照)。これらの術は、途中で祀ることをやめると祟るなど副作用も大きいとされた。呪術のリーサルウェポン(最終兵器)。これでダメなら諦めろという含みがあるのだ。また、術者は禁を犯し罪を問われるリスクを負うので、術の報酬が「天が蓋で地が器」と言われるほど大きかったという。とても庶民が手を出せる代物ではなかった。

呪いと日本人 (角川ソフィア文庫)
 

 

平安時代の宗教・密教(天台宗真言宗)の本質は、

 

貴族に現世利益を提供するサービス業だったのだ

 

現代社会でいうところの美容健康サービス業。

 

美しくありたい、愛され続けたいという愛欲は、

 

今も昔も変わらない。

 

そろそろ本題の狐坂の由来に戻ろう。

 

手持ちの資料からはどうもはっきりしない・・・

 

原始的な男根崇拝の祭りが松ヶ崎に昔からあって、

 

男祭り→性愛→稲荷社建立→祭神:「伊賀の女狐」

 

ということで狐坂という地名が生まれたのかもしれない。

 

あるいは、

 

松ヶ崎の地理的理由からかもしれない。

 

平安時代今昔物語集には、

 

まとめて5話の狐の話(第27巻の37~41)が収録されている。

だいたい以下のように筋が決まっている。

 女狐が、

 

麗しい女性の姿になりすまし、

 

お馬にのせてくださいまし」などと愛らしい仕草

 

男をニートラップにかけるのだが、

 

男に刀で脅され、

 

化けの皮がはがれ

 

恐怖のあまり酷くくさい尿をもらしながら

※キツネは縄張りをもち、マーキングする習性がある。

 

こんこん」と泣いて山に逃げ帰る。

 

狐に人間を害する意図はなく、

 

好奇心から人間に近づいてくる。

※キツネは警戒心が強いが好奇心も強い。

 

男は、「殺しとけばよかった」と建前上は狐への憎悪をみせるのだが、

 

おそらく狐の愛くるしさに心奪われていて本気で殺す気はない。

 

 ※キツネの習性をとらえた記載になっており、身近に狐がいたことがうかがわれる。

 

 

このように

 

平安人は、

 

狐に対して

 

 

憎しみと愛情

 

 

の二律背反の感情を持っていた。

 

狐のもつ

 

女性のような優美さ・愛くるしさ、鼠を退治する益獣性

 

荼枳尼天(だきにてん)の化神、陰獣・妖獣性

 

二面性がそうさせたのだろう。

 

狐のもつ陰湿なイメージは、

 

留学した密教僧が中国から日本に持ち帰り

 

呪術と共に「最先端の知識」として貴族に広めたのである。

 

今でいえば、

 

ハーバード大学に留学していた秀才が日本に帰ってきて

 

「これがワールド・スタンダードだ‼」などと学んできた知識をひけらかす

 

・聴いてる方は、聴いてる方で良くわからないもんだから、

 

「なーんか違和感あるけど、ハーバード大学だから凄いのだろう」

 

とありがたがる

 

といったところか。

 

日本古来の狐に対する素朴な感情舶来の最新知識の間で

 

平安貴族のこころは揺れたのだろう。

 

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 ※ホンドギツネ(須坂市動物園ホームページより)

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 荼枳尼天(だきにてん)wikipediaより

もともとはインドの女神(ダーキニー)。シヴァに仕える最下層カーストの娼婦がモデルとされ、娼婦たちは行者を快楽に導く特殊技術(セックステクニック)を持っていたという。インドから中国に伝わり、日本へは密教の鬼神(荼枳尼天)として伝来。男女の性行為を修行に位置づける左道密教においては、荼枳尼天は酒を飲み死んだ人間の肉(人黄)を喰らい交接(セックス)をすることで大楽(トランス状態)を得るエログロな女神とされる(なお、日本には空海が持ち帰った「理趣経」は左道密教系統に属する経典)。墳墓を荒し死肉を喰らう点でジャッカル(野干=日本では狐)とイメージが重なる。当初、荼枳尼天真言宗・東寺系の僧によって信仰されていたが、伏見稲荷が東寺の勢力下に入る過程で(伏見稲荷の氏子が伏見区から東寺のある南区・下京区まで広く分布しているのはその名残)、稲荷社と荼枳尼天の習合(仏教神道の理論的摺り合わせ)がおこる。もともとは農耕信仰だった稲荷・狐信仰の性格は、荼枳尼天の影響を受け、愛敬法・性愛・呪術等の性格を帯びることとなる。荼枳尼天の霊験は、その異神性ゆえに強力とされ、天皇の即位の際に行う儀式(東寺即位法)に導入されるなど時の権力者の守護呪術とされた。反面、呪法を政敵に利用されることを恐れ、権力者以外の利用を禁じ、外法(禁術)と位置付けた。その後、稲荷と狐は商売の神様となり全国的に普及し、陰湿・外法的なイメージは薄まるが、それでも狐には、狐火・狐憑きなどの暗いイメージが残ってしまう。

今昔物語集 本朝世俗篇 (下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

今昔物語集 本朝世俗篇 (下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 

 ※荼枳尼天の伝来については、巻末解説「狐の話」を参照

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

 
古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

 

※陰獣・妖獣性(化ける狐)・稲荷と狐の関係が簡潔に説明されている

 

そして、

 

物語中、狐と遭遇するのが

 

夕暮れ時人里はなれた場所

・都の中でも樹木がある場所

(怪奇譚でおなじみの「宴の松原」)

夕暮れ時平安京の路地

だが月明りのある場所

 

である。

 

これらの場所・時間に共通するのが、

 

薄暗いことである。

 ※真っ暗ではないというのがポイント

 

平安人は、

 

夜行性の狐と

夕暮れ時あるいは

薄暗い場所で遭遇し、

 

「何だろう?」という猜疑心

 

追はぎ・山賊あるいは鬼に対する恐怖心、

 

インド・中国から伝わった陰獣・妖獣のイメージが相まって、

 

怪異としての狐を見たのだろう。

 

今昔物語集も、

 

 

狐は、相手(人間)の心の持ちようでさまざまに行動するらしい

 

 

 

と総括している。

 

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

 

 

松ヶ崎の狐坂も、

 

日陰になる部分が多く薄暗い

 

この地形的理由から狐坂の名が付き、

 

その後、

 

狐→稲荷→性愛・巫女→狐坂の男祭り

 

と発展したのかもしれない。

 

まだまだ調査不足なので、

 

結論は今後の宿題としたい。

 

いずれにしても

 

狐坂には、

 

平安時代狐のお社(稲荷社)があり、

 

非公式に愛欲成就を祈祷する場所だった。

 

今となっては

 

狐から愛欲祈願のイメージは失われたが、

 

密教の妖獣としての狐のイメージは

 

1200年以上経てもまだまだ健在で、

 

狐坂が心霊スポットとされることに一役かっている。

 

密教日本人の心象風景に与えた影響は根深い

 

 

松ヶ崎の昔話京都新聞|ふるさと昔語り)

・松ヶ崎に伝わる「人助けをする狐火」の昔話があるが、この昔話は平安時代までは遡らないだろう。

妙円寺の古井戸の昔話

松ヶ崎の妙円寺には古井戸があるが、狐にまつわる言い伝えが残る。

「キツネの子がこの井戸にはまって死んだ。すると稲荷の親キツネが現れ『今後一切井戸を掘ってはならぬ。掘れば不幸が訪れる。その代わりどんな日照りでも神通力で涸らさぬようにする』と告げたと伝える。以来水道ができるまで,東部の17軒はこの井戸一つで過ごしてきたという。この石標は東松ヶ崎の人々が生活用水として使った古井戸の跡を示すものである。 」(京都市HPより抜粋)松ヶ崎には狐にまつわる言い伝え・昔話が多い。山の南側には松ヶ崎一帯を縄張りとする狐が住んでいたようだ。

都名所図会(江戸時代のるるぶ)

・木が多い茂っている坂だから「木摺(きづれ)坂」「木列(きつれ)坂」という名が付きその後「狐坂」に変化したと記されてる。ただ、平安時代の新猿楽記にはすでに「野干坂」(野干=狐)と呼ばれている点、平安・鎌倉時代の古地図には「狐坂」と記載されており、江戸時代の古地図には「キツレ坂」と記載されている点が気になる。稲荷社も無くなり、漢字が読めない庶民に地名が伝承(耳コピ)されるうちに、「狐坂」という漢字の意味から離れて、発音しやすいキツレ坂に変化したのではないかと個人的には思う。

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平安時代頃の古地図(花洛往古図)・「狐坂」の記載がある

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江戸時代の古地図(名所手引京圖鑑綱目)・「キツレ坂」の記載がある。

※狐の社

・かつて京都には御土居という城壁があったが、その城壁に狐が巣穴を作って住んでいたらしい。そのうちに狐が信仰の対象となり、いまでも狐の社がいくつか残っている(石井神社、平一大明神、市五郎神社。「平一」「市五郎」は狐の名前だろう)。また、平家物語の「鹿谷」には、「賀茂の上の社にある聖をこめて、御宝殿の御うしろなる杉の洞(ほら)に壇をたてて、ダキニ天(キツネはその化神)の法を百日行わせらる」とあり、狐の巣穴を祭祀としたと思われる記載がある。昔は狐が身近にいたようだ。松ヶ崎に「伊賀の女狐」という狐が住んでいて、その巣穴を祀る狐の社(稲荷社)ができ、狐坂という名前になったというのが案外正解なのかもしれない。

御土居堀ものがたり

御土居堀ものがたり

 

歓喜寺と涌泉寺

 松ヶ崎にはかつて歓喜寺という天台宗の寺があったが(上記平安時代の地図参照)、寺の住職が夢で翁からお告げを聞いたことがきっかけで、寺と松ヶ崎村の檀家全員が日蓮宗に改宗する(現在では日蓮宗・涌泉寺となっている。松ケ崎の五山の送火が「妙」「法」なのは村が全体が日蓮宗だから。)夢の中の翁は白狐にまたがっていたという。ダキニ天は白狐にまたがった姿で描かれることが多いし、稲荷神は翁の姿で表現されることがある。住職が見た翁は間違いなく「稲荷神」。改宗に当たって村人を説得するために「稲荷神」を持ち出したのだろう。古くから松ヶ崎の人々が稲荷神を深く信仰していたことを伺わせるエピソードだ。

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※左:白狐に跨るダキニ天 右:翁稲荷

【追記】

大田神社の里神楽(ちゃんぽん神楽)について

大田神社(上賀茂神社の摂社)は、京都で最古級の神社である。

大田神社の里神楽は、老齢の巫女が神楽を舞う珍しい様式(年配の巫女が担当するということで旋舞なのにスロー)で神楽の原型とされる。

別名ちゃんぽん神楽鈴の音(ちゃん)と太鼓の音(ぽん)がその理由。鈴の音は、空気とか目に見えないものを浄化します。いわばファブリーズ。逆に目に見えるものは水で浄化します(禊)。

古の日本では、魏志倭人伝卑弥呼と弟のように宗教的権威は女性に世俗的権威は男性にありました(二重権力構造)。これは上賀茂神社葵祭(斎王代)にもみられる。宗教的権威のある巫女は、高速旋舞(巫女舞)でくらくら(トランス状態)になって神おろしをし、神託を行った。だからトランス型の巫女舞神楽の原始的形態とかんがえられている。トランス型の巫女舞は日本から消滅したが、ここの神楽にはその痕跡である巫女の旋舞(超スローだが)が残っているので、神楽の原型といわれている。

老齢の巫女とが舞う理由は、長寿を祈願するためとされるがもう少し深い理由があるように思う。野干坂の伊賀専の男祭敬愛の祭から老齢の巫女と性愛には何らかの連関がありそうだ。また、大田神社の祭神はアメノウズメ。もともとは豊穣と性愛に係る神おろしの神事だったのかも。老齢の巫女と神楽の事例を収集していくと面白いことがみつかるかもしれない。

www.youtube.com

※神降ろしの後、鈴で参拝客に神力を送ります。

神楽と出会う本

神楽と出会う本

 

 

稲荷信仰 (塙新書 52)

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 東寺の夜叉神と性愛

東寺の夜叉神と性愛

東寺には今でも雄雌の夜叉像が残っている。夫婦の夜叉である。性神摩多羅神と同一神とされ、三つある顔がそれぞれ、歓喜天・ダキニ天・弁財天という。一体の仏像に4つの性愛の神が同居している形になっている。すざまじい効力がありそうだ。ただ、祟り神としても認識されており、副作用も大きそう。

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歓喜天(聖天)と性愛について

歓喜天密教により日本に伝来しているが、我々にはなじみが薄い。それには理由があって、歓喜天は男女が絡みあった仏像であるため、公序良俗に反する恐れと左道密教への傾斜の危惧もあり、秘仏中の秘仏とされ非公開とされるからだ。もともとはインドの毘那夜迦(ビナヤカ・ガネーシャ・象頭の破壊神)という神様。荒ぶる神・毘那夜迦を観音菩薩が交接することで抑え込み、善神へと導いたという神話がもとになっている。刀身と鞘といったところか。実際、荒くれ男も妻子ができると急に丸くなるよね。愛されたり、守る対象ができると破壊される側の気持ちが分かるようになるものだ。また、「歓喜」は性的恍惚であり(「白宝口抄」参照)、性愛の神に位置づけられる。日本の歓喜天は二体の象が抱き合っている物が多いが、チベット密教など左道化した地域の歓喜天は露骨な性的表現となっている。このガネーシャは「万軍の主」としてエジプト(エレファンティーネ島)にも伝わり、そこに駐屯していたユダヤ人傭兵部隊はこれを「yaho」として信仰した。ユダヤ教最高神ヤハウェの原型である。しかし、出エジプト後、ユダヤ人はヤハウェの原型をすっかり忘れてしまい、このガネーシャをヤハウエとは別物の「ビヒモス」「バハムート」として聖書に登場させている(バーバラ・ウォーカー「神話伝承辞典」参照)。

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※左:ガネーシャ・右:ビヒモス いずれも「万軍の主」と称される

 

道祖神と性愛について

新猿楽記の老女は、道祖神に願掛けを行っているが、

道祖神と性愛の関係は過去の記事参照